のっぺらぼう

 


私のいとこの顔はない。
つるつるんとしていて、目があるはずの所も、鼻があるはずの所も、口があるはずの所も、
なんにもない。のっぺらぼうだ。
 この前会ったら、そうなっていた。久しぶりに会いに行ったら、のっぺらぼうになっていた
のだ。実際、気持ちが悪い。

 生きているのだから、目に見えないだけで存在はしているらしい。
食べるときは、食べ物が、すすすうっと吸い込まれるように消えていく。
会話は、直接頭の中に彼女の言葉が入ってくる。私は言葉に出して、しゃべっているのだが。

 昔はこうじゃなかった。すごい美人とは言わないが、とても表情が豊かでよく笑い、
よく怒り、活発で、いつも2歳年下の私を部下にして、いろいろな悪さをする手伝いを
させる、そんな少女だった。大人に見つかって、説教を食らうときも要領が良くて、
たいていは私がしかられ、神妙に聞くはめになってしまう。でも一緒にくっついていると、
あんまり楽しいので、私は懲りずにいつも一緒に遊んでもらっていた。
お互いの家が近所なので、いつもほかの友達も一緒に、大集団で真っ暗になるまで、
めいっぱいからだを動かして遊んだものだ・・・。

 昔のことを思い出すと、いつも楽しい。何の変哲もないサラリーマンで、
中年に近づきつつある今、先が見えてしまった今、何にも楽しいことも希望もない、
そんなときでも昔のことを思い出すと、少し勇気や明るさを取り戻すことができる。

 思春期に入ってから、少しずつ悪ガキ仲間も変化していった。昔のようにつるんで
いつまでも遊ぶこともなくなり、女の子は女の子同士、何か秘密をもったりして、
男は寄せ付けてもらえなくなった。男同士でもいろいろ秘密があって、子供の頃の
ようにはつきあえなくなってきたのだが。それでもお正月や祭りの時などは、
みんなでまた一緒に遊んだ・・・それが妙に嬉しかった。

 そのいとこは私より2歳年上だし、女だし、ずいぶん私より大人っぽかった。
ある時を境になんだかとっても大人の女性っぽくなって、ほんとに昔のように
ガキ大将なんかでは全然なくなってしまった。学校ではテニス部で、主将をしたりして、
私もそのいとこに誘われて入部してたものの、全然頭が上がらなかった。
それは昔からだったけど。

 キラキラ光る(と、私には思えた)大先輩のいとこを見ているうちに、
実に陳腐な展開なのだが、私はそのいとこのことが気になってしょうがなくなっていた。
端的に言えば、恋していたのである。まあ、彼女には全く相手にされていなかったのであるが。

 私はその思いを何年も胸に秘めたまま、違う地方の大学に進学し、そしてそのまま
そこで就職した。いつしかその恋心もとっくに忘れて、私はごく当たり前の青年時代を送り、
いろいろな悲喜こもごもの経験をしていった。

 就職して何年かたったとき、私は偶然実家のある都市に転勤になった。
久しぶりに私は実家に帰った。時々実家からかかってくる電話にさえでて、
ぶっきらぼうに数分相手にすればそれでいいと思い、遊び歩いていた親不孝な息子で、
本当に10年近く、実家に帰ってなかったのだ。

 実家のある駅に降り立ったとき私は、それほど変わってない周りの風景に
心の底から懐かしさを覚えた。もっとたびたび帰っておけば良かった・・・
そんな後悔の念さえ覚えた。


実家に着くと、両親が出迎えてくれた。久しぶりにあった両親は、昔覚えているよりも
少し年をとっていたが、二人とも働いているからか、さほどでもない。
よく日焼けした顔に笑顔を浮かべて出迎えてくれて、私は内心、ほっとした。

 「よう帰ってきたなあ」母が言った。
 「母さん、長いこと、ごめんな」私はそう言った。
「まあええからはよ入ってゆっくりし。お茶でもいれるさかい、
部屋に鞄おいたらこっち来いや。長かったし、疲れたやろ」と言いながら、
母は私の鞄を取って、昔私が使っていた部屋に先にさっさと入っていった。

「ちゃんと掃除しといたし、布団も干しといたから、今晩はゆっくり寝えな」
私の部屋は、昔のまま10年もいなかった部屋の主を黙って迎えてくれた。
母親の気配の残る、ぬくぬくと、私を迎え入れてくれる部屋の感じに、
私は疲れがゆったりとした眠気に変わっていくような気がした。 茶の間に戻ると、
父はちゃぶ台のところで座椅子にもたれて新聞を読み、母はお茶を入れてくれているところ
だった。
「晩御飯、なに食べたい? 今から買い物に行くさかい、何でも言うてや。
あんたが昔好きやった、バラ寿司とかどない?」と母に聞かれたが、なんだか胸がいっぱいで
食欲もちょっとわかないような気がしたので、「うん、なんでもええ」と答えてしまった。
「そうか・・・」
 少しの沈黙の後、私は切り出した。
「あのなぁ、母さん、父さん、長いことごめんな。今後悔しても遅いけど、
自分のことばっかり考えてた。全然帰ってこなくて、心配ばかりかけて、悪かった・・・」
父は新聞をぽそっと置いて、少し間をおいてから言った。
「せやなあ。おまえのことはずいぶん心配したけど、父さんも母さんもな、
おまえのことずっと信じとったんや。いつかは絶対、この家に戻って来るって」
「せやよ。おまえはこのうちの子やさかい、絶対帰って来るって、私らわかっとったんよ」
二人とも、ほほえみを浮かべていた。
「えらい自信あんねんなあ」私はつぶやいた。
「そらそうやん。私らあんたの親やんか。めちゃくちゃかわいがって育てたもん、
そんな簡単に親に冷たいことするような子やないって」
「そうそう、そんなことされてたまるかいな」
和やかで暖かい雰囲気に包まれて、私もやっと安心することができた。

 夕食の時間になった。母は私のためにすごいごちそうを(といっても田舎の料理であるが)
用意してくれていた。若い頃と違っていろんな面で、親の愛情がとてもうれしく、
素直に受け止めることができた。
 食事が進むにつれていろいろ話も弾むようになった。自分の話、妹のこと、
いろいろ話しているとき、ふと私は思いついて訊ねた。
「そういえば、**家のKちゃん、どうしてる?」

Kちゃんと言えば、あのあこがれのいとこのことである。突然、両親が黙り込んだ。
そしてきまり悪そうに、なんだか口ごもりながら父が答えてくれた。
「Kちゃんは病気でなあ。もうずっと長いこと、家にこもってはるんや。
うちらも長いこと会うてないんや」
「え!? 何の病気なん? なんか会われへん理由でもあるんか?」
「・・・・」
しばしの沈黙の後、母が今度は答えた。
「よう分かれへんからなあ。もしなんやったら後でおばさんに電話してみ。
あんたやったらおばさんも会わせてくれるかもしれへんなぁ。Kちゃんも喜んでくれる
かもしれへんし」
両親たちは、何かすごく困ったことがあって、答えたくないのだ、と言うことを私は悟った。
身内の、触れてはならないことに触れてしまったらしい。
 その場で白けてしまって、後はもう、話もそれほど出てこず、両親も私も、
酒を飲むのも程々に切り上げ、その晩は早々に寝てしまった。

 私は翌日の午後、**家のおばさんに電話をした。なんだかとても恐ろしいことを
聞かされるような気がして、気が進まなかったのだが、怖いもの見たさというのか、
聞きたさとで、何度も何度も逡巡したあげくに、とうとう電話を掛けた。
 おばさんは電話口で言った。「せやなあ。Kは病気でなあ・・・。心に関係する病気や
ねんけど、あんたが来てくれたらなんかいい方に変わるかもしれへんなぁ。
 でも、K見て驚ろかんといてな。それでも良かったら来て。もう昔の通りやない事を
頭に置いといてな・・・。あんたがこっちに全然帰ってけえへん間に、ここらもいろいろ
あったんやで・・・」

おばさんは言葉を一つ一つ選ぶように、ゆっくりとしゃべった。
私の10年間のことに触れてはいるけれど、それも別段責めたりなじったりするような
口調でもなく、昔のままの静かで淡々とした口調であった。

「そうですか。いつおじゃましたら良いですか?」
「いつでもええで。もし何やったら、もう1時間ほどしたら来なさいよ」
 電話は終わった。

 もっと聞きたいことがいっぱいあったが、胸がふさがるような恐ろしい気分で、
ほとんど何も言えなかった。駅で感じた「もっと早くに帰っておけばよかった」という
気持ちは、あの時は明るい気分でそう感じたのだが、今また再び胸の内に戻ってきた
その同じ気持ちは、今や暗鬱として、大きな喪失感を伴っていた。

 何か恐ろしい事が待っているに違いない、私はそう確信した。それがわかっているのに、
家を出た後、なぜか足早に、ほとんど走るようにして、Kちゃんのうちに向かった。
Kちゃんはいったいどうなってしまったんだろうか?

 Kちゃんの家に着くと、おばさんが待っていてくれた。母の話では、ほとんど世間とも
交際を止め、家にこもりっきりと言うことだったが、おばさんは目に見えてやつれ
老け込んでいた。どれほどの苦労がおばさんをここまで押しつぶしてしまったのだろうか?
 
私の訪問は、おばさんに大変な辛労を与えてはいないだろうか?早くも後悔の念を私は感じた。

「Tちゃん、すっかり大人になったなあ。お帰り。Kも待ってるで。お入り・・・
こっちやから」

そういって、おばさんは私を離れの座敷の方に案内してくれた。昔は曾祖母が住んでいた
離れである。おばさんは離れの玄関にはいると、座敷の前の間に入る戸を開ける石段を
あがって、戸を開けてくれた。

「ほな、後でまた帰るとき、母屋の方に声かけてな。K、Tちゃんが来てくれたで」
「おじゃまします」私は小さい声で言った。

 Kちゃんは座敷の、庭の見える窓際に置かれた籐のいす(曾祖母が使っていた懐かしいもの)
に、窓の方を向いて座っていた。

「Tちゃん、来てくれたんか?」
ちょっと不思議な声がして、Kちゃんが私の方を向いた。


 Kちゃんが振り返ったとき、私は声にならぬ声をあげ、腰を抜かした。訳の分からぬ悲鳴を
上げ、はいずりながらずるずる戸口に近づいた。

「Tちゃん。そう逃げんと・・・。そんなにこわがらんでもええやん。あたしやで。Kやで。
長いことあわなんだなぁ・・・。 あんたすっかりかわってしもたなぁ、
ここ出て行ったときはまだ子供みたいやったのになぁ。
Tちゃん。びっくりさせたやろう。ごめんな。でもこれが今のあたしの顔や。こんな風に
なってしもてん。だから今はこれで堪忍して。そんな化けもんでも見るような顔でみんといて
・・・」
Kちゃんは、おばさんと一緒で、ゆっくり一言一言区切るように、私に話しかけた。
話してるのはまぎれもない、Kの声だったが、それはどこか遠くから、私の頭の中に
直接響いてくるような、不思議な声だった。

「ご、ごめん。僕Kちゃんのその顔にまだ慣れてへんもんやから。僕こそごめん。でも
ほんまにびっくりして・・・」
「そりゃそうやろうなぁ。Tちゃん、何でこうなったか知りたい? 何であたしの顔が
こんな風になったか、はなしてもええか?」

嫌だとは言えないような口調で、Kちゃんは言った。
私は無言でうなずいた。

 Kちゃんは話し始めた。

「あたしなあ。高校卒業してからすぐ、F市のS呉服店で働きはじめてん。あそこ
この辺では一流の呉服店やろ。この辺のええとこの奥さん連中はみんなあそこに買いに
行きはるやん。そこで働けるようになれてあたしめちゃ嬉しかったわ。学校でもそんな
ええところに就職できたん、あたしだけやったし。みんなに後何年かたったらええとこの
奥様やなぁなんて言われたりして、あたしらも世間知らずやからそんなことで盛り上がったり
して、鼻高々になって・・・。

 働きやすい、ええ店やったよ。格調も高くて、年に何回か上得意のお客様だけ呼んで
お茶会を開いたり、歌の会とか、今まで聞いたこともないような世界に入れて、
あたしはなんか舞い上がってたわ。そういうときになるとな、奥様がきれいにお花を
生けはるんや。玄関と、床さんと。お正月なんてめちゃ盛大でなあ。

 働きはじめて2年ぐらい、私はもう夢中で働いたわ。そのうち奥様にかわいがられるように
なってな。若旦那にも声を掛けられるようになって・・・。

 若旦那は何かと私に目を掛けてくれるようになって、ますます私は得意絶頂、
てんぐになってしもてな。今までの友達とも疎遠になってても気づきもせえへんかったわ。
もう若旦那しか目に入らへんねん。何で若旦那があたしに親切にしてくれはんのか、
それすら考えたこともないねん。そのうちあちこち連れて行ってもらったり、ちょっとした
小物なんかを見立てて買うてくれはったりするようになってん。ほんまに有頂天やったわ。
あたしは若旦那の将来のお嫁さん、とか決め込んだりしてな。夢のような毎日やったわ。
周りの人の声もあたしを見る目もなんにも、あたしは気が付けへんかったみたいやな。

 あたしはある時若旦那にきいてみてん。
『ねえ、お嫁さんにするならどんな人がええですのん?』って。あたしはなぁ。
無意識のうちに『Kみたいな人や』っていわれるのを期待してたみたいで。
それが若旦那は『せやなあ。僕は・・・。まあ、ええやないの』ってにやにや笑いながら
言っただけやった。なんかはぐらかされたみたいでなぁ。そのとき、あたしはちょっと
おかしいなぁっておもったんや。

 なんでやろうな。胸騒ぎがしたんかな。女の勘、やったんかな」
Kちゃんは一息ついた。

Kちゃんはぽつぽつと話しを続けた。

「いつやったかなぁ。お母ちゃんが風邪を引いて寝込んだときがあって、あたしはTちゃんも
知ってる、J先生を呼びに夜遅くに走ったことがあって。川沿いに酒屋があるやろ。
あそこに橋がかかってるやん。あそこであたし見てしもてん・・・。」

私はKちゃんが何を見て、どういう悲劇を味わったかわかるような気がした。
「若旦那がな・・・。若旦那が、同じ店で働いてる、Mって言う子と・・・。
Mはあたしよりずっと若いまだ働きだして1年もたってない子でなぁ。でもほんまに
信じられへんかったわ。あたしは若旦那はあたしのことを好いてくれてはると信じて
疑ってへんかったんやもんな。とりあえずそのときは母のことを思って、先生の所に
急いでんけど」
Kちゃんはここで一息ついた。
「それからな、あたしは動揺してしもて、店に出て仕事してても、あんまり手に着かない
状態で、失敗ばっかりするし、若旦那の顔も見られへんし、そのうち若旦那も変やと
思いはってんなぁ。あたしを呼びだして、聞きはった。どないしたん?って。
なんか気になることでもあるん?って。いつもの誠実で優しそうな調子で。あたしは
小さい蚊の泣くような声でつぶやくしかできへんかった。『心変わりしはったんですか?』
って。そしたらな、若旦那、さっと顔色が変わんねんけど、またすぐに元にもどって。
あたしその時あたしは今までずっと騙されとったことにやっと気が付いたわ。
その優しそうな顔は薄っぺらい皮一枚のもんやったって事にな。若旦那は言いはった。
『何言うてんねんな。なんか見たんか?なんかの間違いやと思うけど。なあ、こうせえへん?
今日仕事が終わったら、僕とKちゃんでなんかおいしいもの食べに行こう。Kちゃん
僕のこと信じてくれてるやろ? な?おいしいもの食べてまた仲良くしようや。
それでええやろ?』若旦那は相変わらず優しげな顔で言った。


『私見たんです。若旦那がMといるのを。Mとつきあってはったんですか?』って
それでもあたしは言った。やけくそになってたんかもしれへん。そういうとな、若旦那の顔が
急変した。優しげな男前の顔は、女を騙してもてあそぶ、ずるくて冷たい自分のことだけしか
考えてない、本当に嫌な顔になった。

 『おまえな、つきあうっていう意味しってるんか? おまえとなんかただちょっとばかり
遊んでただけや。Mの気を引こうと思ってな。そんなことにも気がつかんと有頂天になって。
おまえを遊ぶのは簡単やったわ。おまえと違って、Mはきれいな子や。店で一番きれいな子や。
若いしな。二人で会いだしたら、体の方もすぐに許しよったわ。はっはっは!
女なんて馬鹿なもんよ。まぁ、Mは若奥様には向いてないよなぁ。だからお前にも
可能性はあるという訳や。はっはっは! せいぜいうちのお袋に今以上に気に入られるよう、
取り入っておくんやな。なにせおまえは店で2番目の美人やからなぁ!あとはもう
どうしようもないばばあばっかりや! せいぜいがんばりや!』

あたしはさぞかし醜い顔をして突っ立っていたことやろう。憎悪と怒りにどす黒くゆがんで、
若旦那の本性に恐怖を感じて震えて・・・。あたしがもしその手にラケットを持っていたら
その手でぶちのめしていたかもしれない。 でもあたしは「さよなら」とつぶやいて、
そこを走り去っただけやった。まだ仕事は終わってなかったが、私は家に走り帰った。
もう2度と仕事にも出ないし、若旦那にも会わないつもりだった。あたしはぼろぼろの
気分やったけど、でも家に帰るまでには気分を元に戻さなあかんかった。せやないと
具合の悪いお母ちゃんやお父ちゃんに心配掛けてしまうやろ?うちはそれだけはしたく
なかった。でも仕事をやめ、若旦那と別れた・・・そもそも若旦那はつきあってるつもりは
なかったみたいやけど、なんてことを親に言わなければならない気の重さはあったけど、
何とかしなきゃ、と必死であたしは自分を立て直そうと思った。でもなぁ。
家に着いたらなんかほっとして、最初にしたことは、あたしが親にしたことは、
泣きじゃくるだけやってん。小さい頃から気が強くてガキ大将でいつも家に帰って泣く、
なんてしたこと生まれてこの方一度もしたことがなかったあたしやけど、ほんまに泣いて
しもて・・・。親はどうしたんかほんまに心配してくれたけど、あたしが落ち着いてから
聞こうと思ったらしくて、そっとしておいてくれた。そしてあたしは・・・。
その夜から高熱が出て、しばらく寝込んでしもて・・・」

Kちゃんは話すのをやめた。私はまるっきり魅入られたように、Kちゃんののっぺらぼうの
顔を見つめながら、Kちゃんの話を聞いていた。


「あたしはうなされ続けた。若旦那が何度も何度も夢の中であたしにMと二股を掛けて
遊んでたことを自慢げにいうねん。あたしを醜い、馬鹿な女や、とかこんなに冷たく
されても、俺と結婚したいんやろ、とかむちゃくちゃ言うねん。若旦那の顔はとても
怖い顔やった。あたしもすごい変な顔をして突っ立って、なにを言われても黙って、
もうめちゃくちゃ悲しい気持ちで聞いてるんや。
 そんな夢ばっかり見て、でも目が覚めへんねん。来る日も来る日も若旦那が出てきて
あたしを苦しめるねんで。あたしはほんとに若旦那のことが好きやったのに、
若旦那はそうやなかったんや。あたしよりもMみたいな若くてきれいな子を選びはったんやで。
あたしはそんなに醜いんやろか?あたしはMに見劣りするほど、一回若旦那とMが
抱き合ってるのを見かけたことを言っただけで、あんなに憎まれなあかんほど、
そんなにあたしは酷いことを言ったりしたりしたか?
 そんなことない。でもなあ、そのときはあの酷い体験からまだ日も経ってないし、
体も弱り切ってるし、いろいろ考えられへんやん? 若旦那に言われたことはあたしのことを
責めさいなみ続けて、それが病気をますますひどくしたみたいやった」


「あたしはある日、不思議な夢を見た。いつもの悪夢やなくて、なんか不思議な夢。
死んだ大婆ちゃんが出てきて、この離れ座敷で待ってる、っていう。それからあたしが
もう苦しまんでええように、神さんにお願いしておいたし、神さんもあんたにおまじない
したげるいうてはったし、離れで待ってるわ、っていって、居なくなってしまわはった。
不思議な夢やった。あたしは死によってたんやろうなあ。昔から大婆ちゃんはうちら
ひ孫のことをかわいがってくれてはったもんなあ・・・」

Kちゃんは一息ついた。
「それからあたしはぱっと目が覚めた。なんだか気分も今までよりは良かった。
体も良くなってるような気がした。布団の起きあがった時、ちょっとふらふらしたけど、
もう大丈夫、やと思ったなあ。それにな、若旦那のこともあんまりどうでもよくなっててん。
大婆ちゃんのおかげやなあってあたしは思った。

 でもなあ、そのとき部屋に入ってきたお母ちゃんが叫び声をあげてん。
あたしはあたしが起きあがって元気そうにしてるのを見てびっくりしたんやなぁ、と思って。
お母ちゃんおはよう、とにこにこしながら言ってんけど、様子がちょっと違う。
さっきは行って来たときのあんたみたいに、腰抜かして悲鳴を上げてはるねん、
あたしは何事かと思った。
『お母ちゃん、どないしはったん?あたしなんか変か?大分ようなったで?
心配掛けてごめんな。お母ちゃん?お母
ちゃん?』
お母ちゃんは泣いてはった。お母ちゃんはあたしに泣きじゃくりながら、言った。
それもよう聞き取られへんようなぐあいやった。
『あんたの顔、ないねん。のっぺらぼうや。昨日まであったのに、どないしてしもうてんや・・・』


 あたしはそれこそ耳を疑った。お母ちゃん何言うてはんねんと思った。
でもそばにあった鏡を見て、ほんまにあたしもひいって悲鳴を上げて腰抜かしてしもた」

Kちゃんは淡々と話を続けている。
そのときの一家の苦しみや葛藤は大変なものだっただろう。何年もたってるのに、今だに尾を
引いている。Kちゃんはそれほど苦しんでいるようには見えないが、おばさんたちは
憔悴しきっている。

「それが大婆ちゃんのおまじないやったんか?のっぺらぼうになったらなんで
苦しまなくてすむんや?Kちゃんちは辛そうやんか。大婆ちゃんが神さんに
お願いしたことってそんなことやったんか?」私ははじめてKちゃんに大声で話した。

「あたしは大婆ちゃんの言うように、この離れ座敷に移り住んだ。それからずっとここや。
誰とも会わなんだし、外にも出てへん。来るのはお母ちゃんだけや。Tちゃん、ええか?
心配しなくてもええで。大婆ちゃんのおまじない、なんか意味があるはずや。
あたしにはまだわからへんけど、きっと大丈夫や。あたしはここで、大婆ちゃんの気配を
感じながら、孤独やけど、平安に暮らしてる。お母ちゃんたちには親不孝して
しもたけど・・・。あたしは今は別に不幸やとか辛いとか、何にも思ってない。
お母ちゃんにはどういえばわかってもらえるかわからへんけど・・・」

私にも、そのKちゃんの確信がさっぱり理解できなかった。おばさんたちの気持ちの方が
ずっと近い。一生のっぺらぼうでもええんやろか?

「Tちゃん、今日はもう帰り。あたし疲れたわ。でもまた来てくれるか?」

Kちゃんは本当に疲れてしまったみたいだった。私は答えた。
「うん、来られる日は毎日来る。今日はいろいろ話してくれてありがとう。毎日来るから」
私はそういうと、さっと立ち上がって、座敷を出た。靴を履くと走り出て、そのまま母屋に
よるのも忘れて、走って帰った。私は走りながら泣いていた。びしょびしょに顔を濡らして
泣いていた。何が悲しいのかわからないけれど、泣いていた。

 それから毎日私は仕事帰りにKちゃんの所に寄るようになった。のっぺらぼうの顔も
見慣れてきたような気がする。気色は悪いが、怖いとは思わない。Kちゃんも晩御飯を
作って待ってくれるようになってきた。話は特にないのだがたわいのない話をお互いする。
仕事の話、昔の話、他の幼なじみのはなし。


 ある晩、私はKちゃんに言った。「Kちゃん、僕と結婚してくれへんか? 
一緒になってくれへんか? Kちゃん、昔から僕、Kちゃんのこと好きやってん
・・・知ってたか? あかんやろか?」

さすがにKちゃんはびっくりしたみたいだったが、首を振った。

「やめとき、のっぺらぼうの女なんか。誰も賛成してくれへんわ、うちに来てくれるのは、
あんたが誰かええ人見つけて一緒になるまでだけでええんや。それもめんどくさかったら
ええで。ほんまに長いこと、あたしのわがまま聞いて、毎日よう通ってくれたなぁ。
もうええで。ありがとう。おおきに。もううちに来るのは止めて、ほんまにええ人探さな、
あんたかて一生独り身なってしまう所やったわ。悪かったなあ・・・。もう帰ってええで。
なんぼ昔仲良かったから、いとこやから、いうて哀れに思って、もらってもらわんでも、
あたしは別に平気やから・・・」
Kちゃんは一方的に早口でまくしたてた。いつもより顔色が赤かった。

「そんなん違う!」私は叫んだ。

「どこさがしてもKちゃんぐらい好きになれる人はおらへん!Kちゃんのこと好きや
なかったらこんなにずっと通うわけない!僕は・・・」

言ってるうちに私は我慢がならなくなって、Kちゃんのことを抱きしめてしまった。
Kちゃんが私の腕の中でもがいた。

「Tちゃんやめて。離して・・・」

「嫌や。うん、言うてくれるまで離さへんで。Kちゃん、僕はKちゃんの所に来ていた
この半年間、めちゃ楽しかったんや。こっちに転勤したばっかりで、仕事も不慣れやし、
ろくな事できへんでいらいらすることがあっても、Kちゃん所きて、のんびり静かに
話とかしてたら、すごい楽しかった。昔のKちゃんはかっこよくてそれも良かったけど、
今のKちゃんはもっと素敵や。僕はKちゃんとずっといたい。Kちゃんさえええんやったら、
Kちゃんとここに住んだら良いと思ってる」

私は必死だった。別にその日に求婚しようと思って、訪ねて来たわけではない。
ふとした思いつきだった。でもなぜか必死になっている。不思議だった。
Tちゃんは窮屈そうにしていたが、やがてかすかにうなずいてくれた。

「ええよ。でも明日になって、そんなん言うてへんで。夢でもみたんやろ、とか
いわんといてや。あたしにはもう失うものはないけれど、あんたはようさんあんねんからね。
化け物と結婚した、とか周りに言われてほんまに後悔しないか、もっと考えてから・・・
そんな思いつきで言わないで・・・そんなん言うてしまって、ええんか?もうあたし
傷つきたくないねんで・・・」

Kちゃんは泣いているみたいだった。涙はみえないけれど、私の肩が濡れそぼっている。

Kちゃんが泣いている。

「母屋に挨拶に行こう」

私はKちゃんを引き起こしながら言った。私には何の迷いもなかった。


 婚礼の日の朝が来た。私たちが住んでいるこの地方の習慣では、朝、正式な紋付きの
羽織袴に着替えて支度のすんだ新郎は、両親と仲人を伴って、新婦の家に迎えに行く。
そこからこの地方の一部の家が代々信仰している、神社(大婆ちゃんの神さんである)に
お参りに行く。そこで禊ぎをしたり、定められた儀式を済ませたりして、今度は仲人の家に
向かい、そこでお披露目の宴会をするのである。とても華やかでおめでたく、誰もが喜びを
分かち合う、行事のひとつであった。

 だが今回は事情が特別なので、身内だけで、神社に行って婚礼の儀式を済ませ、
Kちゃんの家に行って密やかに食事の会をすることになった。
 私はその朝、両親とともに迎えにKちゃん宅に向かった。誰も賛成はしてないが、
本人達がその気になっているのでしょうがなく取り持たれる、そんな少々白けた雰囲気の朝
だった。
 
あの、二人が結婚をする事に決めた、と告げた時の双方の両親の驚き。いっとき親戚関係が
壊れそうになった。Kちゃんも不安そうだった。ただひたすら頑固に言い張り続けた私は、
あのKちゃんの後をくっついて歩いてばかりいた頃のイメージはみじんもなかっただろう。
自分でもここまで言い張る理由がわからなかった。Kちゃんへの自分自身の思いだけは
わかっていたけれど。

 私達はKちゃんの家に着いた。Kちゃんの家からにぎやかな声が聞こえてきた。
私たちは少し怪訝そうな顔をしてお互いの顔を見合った。

「おはようございます。Tが到着しました」私は玄関口で声を掛けた。家の中から足音が
聞こえてきた。軽やかで楽しげな足音。

「はあい、お待ちしてましたよ」おばさんの明るい声がして私たちを出迎えてくれた。
顔は晴れの日にふさわしく、輝いていた。私たちは奥の間に通された。

 一番奥の床の間の前に、座布団が二つ置いてあって、片方にKちゃんがうつむいて
座っていた。きれいな打ち掛けを着ている。

「さあ、Tちゃんも座って座って。堅苦しいことは止めにして、挨拶しましょうね。
○○さんと××さん(私の両親)もすわってくださいよ」おばさんは忙しげに台所に
行きかけながら私たちに声を張り上げて言った。

 私はKちゃんの隣に座った。Kちゃんが顔を上げて私を見つめた。

「昨日の夜、夢の中に大婆ちゃんが出てきてね、『K、良かったな。長いことよう辛抱したな。
大婆もこれで安心して神さんのそばに行ける。おまじない解いていくわな。ほんまによう
辛抱したな。幸せになれるで』ってにっこり笑って、消えてしまわはってん。
あたし朝起きたら・・・」Kちゃんがにっこり笑った。

 Kちゃんはすこぶるきれいな顔をして私を見てほほえんでいた。紅をさした頬も、
整えた眉毛も、長くて濃いまつげに縁取られた切れ長の目も、口紅をくっきりと塗った口も、
昔私が覚えているよりもずっとずっときれいで、こんなきれいな花嫁は見たことがない、と
言うくらいきれいで、こんな場でなければ躍り上がっていたことだろう。
それから神社に行って、戻ってきて宴会をしたのだが、近所中の人も、近くの親戚も
急遽呼び集めて、これ以上盛り上がれないぐらい盛り上がったのは言うまでもない。

 曾祖母のおかげで不思議な体験をした私たちだが、嘘ではない。そしてそれからずっと
私たちは幸せに暮らした。


終わり



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