ぼごぼご                                                             


 

ある晴れた日の午後、私は家の窓から庭を眺めていた。
仕事が休みの日で、わたしはのんびりとした気分で居間に座って、コーヒーを
飲んでいた。
庭の隅には白い板壁の物置があり、芝刈り機が立てかけてあり、
芝生の庭を囲むように、
色とりどりの花々が咲き乱れている。
この辺でも評判の庭を作っているのは、いつも忙しそうに飛び回っている社交的な
妻だ。
私は勤め先と家を行き来するだけの、ぼんくらのロボットのような毎日を
送っている。


ふと見ると、庭の片隅の様子が変だった。色が黒っぽくて、ほかの部分と違う。
土が露出しているようだった。変だな。芝生と草木で覆われているはずのうちの庭が、
なぜ?

ものぐさの私が重い腰を挙げて、庭に出て行った。
ドアが私の背後で音を立ててバンッと閉まった。



庭に出てそこに行ってみると、芝生が無残にはがれて、土がボゴボゴと泡立って
いたので、私は非常に驚いてしまった。直径1mくらいの範囲の穴だっだ。
突然井戸だか温泉でも湧いたのか? 私は傍に落ちていた棒を拾って、
そのボゴボゴ言う穴に棒を突っ込んでみた。


ボゴボゴボゴボゴ!!!


泡立ちが急に大きくなった。
「うわぁ!」私は思わず大声をあげてしまった。
そのとたん棒に引っ張り込まれるように、
足を滑らせて穴に落ちてしまった。半狂乱になって何処かつかまるものが
ないか探してみたがそんなものはない。溺れる者は藁をも掴むと言うが、
先ほどの棒をその泥の中に突き立てて留まろうとしたものの、
いかんせん泡立つ泥の底なし沼のような穴の中に落ち込んでしまったために、
もがけばもがくほど深く深くドボドボとはまっていくのだった。

泥は口の中にも鼻の穴にも眼の中にも入ってきた。
息苦しさと突然の出来事の為に、頭の中はパニック状態、そのうちに気を失って
しまったらしかった。





目を開けると、服は濡れているがどうやら助かったらしい。何とか生きている。
だが・・・
この窮屈なのはどうしたことだ。

私は何か透明な2枚の板にはさまれているようだった。
身動きが取れずじたばたしたが、
ヌルヌルと滑って全くどうしようもない。
おまけにどこからか強い光が照り付けているし、
先ほどの泥沼の中と同じくらい
苦しく感じた。


「博士。びっくりですね。こんな小さな人間が
存在するとは!」

「その通りだ。全く驚いたね!しかも発見したのは
この私。素晴らしい!」


突然耳をろうするばかりの大声が辺りに響き渡った。2枚のヌルヌルの板に
はさまれて青息吐息の私は腰を抜かした。

何が素晴らしいのかしらないが、私には耐えがたいほどの大声で、片方がもう片方
を絶賛し続けている。どうやらここは推察するに、どこかの研究室か何からしい。
それにしてもなぜ自分がこんなに縮小して、こんな所にいるのかさっぱりわから
なかったし、次第にその大声に対して無性に腹が立ってきた。


「博士、遺伝子検査と解剖は絶対必要ですよね!
いやぁ博士は本当に運がいい。今度の学会での
発表が楽しみですよ、全く!」

「そうだな。しかし君のアシスタントがあればこそ、
だよ。我々の長年の努力が今こそ実りつつある
のだ。
今まで我々をコケにしてきたチュペリトス学派の
やつらめ!見てるがいい」


何?今聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしたが。
解剖、とか言わなかったか?
おいおい。縮小人間には人権もないのか?
正にまな板の上の鯉、の気分だった。

私はそのガラス板の間から、2本の指によって信じられないほど乱暴に引きずり
出され、今度はガラスの丸くて透明な風呂のようなもの上にドサっと置かれた。
そして更にその指はぴっちりした蓋を上から載せて締めてしまった。
うわぁ、冗談じゃない。
今度は窒息死させられそうだった。

それから私が入っているガラスの容器は、ガィーンガィーンと唸り声をあげている
機械の中に入れられ、ブンブン回された。こんなことやって何になるんだろう?
生物学的に何がわかるというのだ?

その頭のおかしな博士と助手の二人組は何が専門なのか知らないが、
学会でも馬鹿にされ、笑いものになっている異端の学者達なのではないだろうか。
こんなやつらになぜどう言う状況で見つかったのかはわからないが、
もうお先真っ暗なのは間違いないようだった。

そのうち機械が止まった。私はすっかり気分が悪くなり吐き気がしてきた。

「君、今日はこれくらいにしよう。明日早速遺伝子
検査と解剖に取り掛かる。検体をそのまま冷蔵庫
に入れてくれ」

「え? これ生きてるんですよ、一応。可哀想じゃ
ないですか?」

「何?生きてるったって、人間じゃないんだから
何とかなるだろう。食料用と違ってそれほど低温
って訳じゃないんだから大丈夫だろう。
後は頼んだよ」


博士が部屋から出て行き、助手がブツブツ言いながら私が入ったシャーレを
手にして冷蔵庫の扉を開けた。私はガラスの容器の中からどんどん叩いて入れない
ように訴えたが助手は気が付いてないようだった。目の前で戸は閉まり、真っ暗に
なってしまった。
しばらくすると冷気が耐え難いほどに迫ってきて、私に覆い被さり、
次第に体の震えが止まらなくなった。そして・・・私は気を失ったようだった。
    







ふと目を覚ますと、何か柔らかい物の上にいて、その上で私はどうすることもできずに、
あっちへ飛ばされ、こっちへ転び、跳ねとんでいるのだった。
冷蔵庫の中で凍死しているのかと思いきや、意外にも暖かい所にいるらしく、
天井や壁などのあちこちから日の光が差込み、蒸せ返るほどだった。

振り回されて段々気分が悪くなってきた頃、やっと部屋が止まった。
かすかに揺れてはいるが、何とか一息つくことができる。

周りをよく見渡すと、どうやら私は何かを編んだと言うか、組んで作った小屋の中に
いるらしかった。積み重なった細いわらのようなものの凹凸や、その隙間から
差し込む力強い日の光が、私にはとてもうれしかった。
その小屋が止まると、風も入ってきて少し涼しくなった。 
なぜ小屋が揺れていたのかはわからないが、それにしてもひどい揺れだった・・・。


やがてパアッととても強い光が上から差し込んで、目がくらむ程のまぶしさを私は
覚えた。
小屋の屋根が上のほうにぐうっと持ち上がって、大きな空が見えた。
まぶしすぎるものの、私は細目を開けてしばしその空を見つめた。なんと久しぶりな。

そこへ何かが横切り一瞬暗くなったかと思うと、大きな物が小屋の中に入ってきて
私の体をがっちりとつかみ、ふわふわの気持ちのいい床から摘み上げた。

私はつかまれたまま外に出された。目の前には私の体より、1,2倍ほど大きな顔が
あった。
まだ幼い女の子のようだった。

「あら!あら!目がさめたのね!あなた妖精?
ピーターパンに出てくるティンカーベルはとっても
かわいいのよ。
あなたはそんなじゃなくて残念だけど、でも妖精よね?!
うわぁうれしい!妖精に会ったの、私初めてなのよ!」 

女の子は実に楽しそうに私を彼女の目前にぶら下げたまま、私に話し掛けた。
今まで一番いい目に会っているかもしれない。

「昨日ね、うちのアナベルが、アナベルって私の大事な
お友達の猫さんなんだけどね、アナベルが散歩から帰って
来たらなんとあなたをくわえてたのよ!どこで見つけたのか
わからないのだけど、あなた具合が悪そうだから、
私のピクニック用のお気に入りのバスケットに寝かせて
あげたのよ。
よく寝られた?元気になった?」


彼女は実に賑やかで、さえずるようにしゃべっていた。

「ね?一度家に戻らなきゃ。お昼なの。あなたにも何か
あげるわ。
悪いけどもう一度バスケットに入ってね!」


彼女は私をそのままバスケットに戻し、ふたを閉めた。またもや大揺れが始まった。
私は再びバスケットの中で跳ね飛ばされる羽目になった。








バスケットの中で、訓練中の宇宙飛行士のように私は天も地も定まらぬまま
転がりまわるという、珍しい体験をしているうちに、急に少女の甲高い叫び声が
聞こえたかと思うと、バスケットが天空に向って急上昇しだした。私は天井の方に
引っ張り上げられ、つかまる所はバスケットのふたの裏の取っ手の留め金の
ねじだけ、というありさまだった。


やがてバスケットは、放物線を描いて急下降し始めた。バスケットはどんどん加速し、
私はなすすべもないまま、やがて地面に叩きつけられた。ものすごい衝撃。
おでこのどこかがぱっくり割れ、血が噴出すのを感じた。頭の怪我なので、
血はものすごい勢いで出て、なかなか止まらない。私は痛みより、怪我をした部分が
焼けるように熱いのを感じた。視界が赤く染まって、どんどん弱っていき、
やがて私は再び意識を失った。気を失う直前、私は自分の体が血まみれで真っ赤
なのを見て愕然とした。




私はふと自分がまだ生きているのに気がついた。なんだまたか。また目覚めたのか。
今度は何だ。

私の周りはやけに賑やかで、間断なくぼごぼごぼごぼご…という音が
聞こえてきた。

どうやら・・・私は今度は四角いガラスの水槽の中にいるらしかった。ぼごぼごと
いうのは、ポンプが空気を送り込んでくる音だった。


私の体は真っ赤だった。真っ赤な金魚になっていたのだ。

少なくとも今までは小型ながらも人間だったのに。
金魚だった。
 
私は水を通してあたりを観察し、与えられる金魚用のえさをぱくつき、
四六時中聞こえてくるぼごぼごという音の中で目を開けたまま眠り、泳ぐのだった。
時々人間がやってきて、へたくそに水を替える間死にそうになることもしばしば
あった。
それでも今までで一番刺激の少ない穏やかな日々だったかもしれない。
ただ人間として誰とも会話できないという、どん底の寂寥感が私を追い詰めるの
だったが。



ある日の事だった。私はふと目覚めた。水槽の前に誰かがいて私をじっと見つめて
いるのだった。
ふさふさした灰色の毛とピンと張った銀色のひげ。大きな青い目。ピンと立った
三角の耳。
猫だった。猫は私をじっと見つめていた。私の思考は停止した。

やがて猫は目にもとまらないすばやい動きで水槽の中に前足を入れ、私を
掬いあげた。

そして・・・。


これ以上は語るまい。ただ私は頭のどこかでポンプの音を最後に聞きながら、
ちょっと嬉しかったのだ。もう2度と目覚めることがないのかもしれないと思うと。





終わり





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