クリスマスプレゼント

こんな満月の夜には不思議な出来事が起きることもあるのだろうか。
ぼくは駅から出ると、家に向かって町の中を歩いていた。
月は明るく照り、宵の明星の光をも包み込んでしまって
いるようだった。

少々疲れたぼくの肩には着ているコートが重く感じられた。
このコートは新婚旅行先で買った、カシミア混のウール
(ぼくにとっては)かなり高価なコートで、浮ついた気分の
新婚旅行のときでもなければ買わないような代物だった。
手入れが大変なので、めったに着ず、ずっと仕舞い込んで
いたのだが、もう何年も、冬になるといつも着ている
ハーフコートがとうとう先日破れてしまったので、
仕方がなく出してきたのだった。


服が破れようと、汚れてこようと、気にして世話を焼いて
くれる者もいない。何しろぼくは今ではもう一人身だった
から。
このウールのコートは新婚旅行の時の思い出がいろいろ
詰まっているのだけど、新しいのをどこかで買わなければ、
よれよれになってしまうだろう、それはなんだか悲しい。
でもぼくは新しいコートをなかなか買いに行くことが
できないのだった。

 
 由美子・・・きみとは新婚旅行の頃からすでにきしみ始めて
いただろうか。
きみの心が次第に壊れていくのを止められなかったぼく…。
きみをついに幸せにすることはできなかったね。
由美子、きみはいつも苦しんでいたね。ぼくはきみを
きつく抱きしめて温めたり髪を優しく撫でて、きみが
寝つくまで、泣きじゃくるきみを慰める以外になにも
してやれなかった。
どうしたの?何がそんなに悲しいの?
ぼくがいけないの?どうしたらいい?ねえ、何が辛いの。
なにかあったの?どうしたらきみは幸せになれるの
…いつでも答えはなかった。

 彼女が何かに苦しみだしたのはいったいいつの頃だろうか?
彼女は「これ以上私みたいな不幸せな子供を作ることは
悲しみが増えるだけだから、絶対いらない」と言いきって
いたっけ。
ぼくは子供はほしかったけれど、彼女には何かあるのだろうかと
思い、思いながらも深く追求はせずに、要求をのんだのだった。
どちらにせよ、二人の意思の疎通を図るのは難しくて、
結婚生活はちっとも幸せでなかった。
 
ぼくが家に帰るのが億劫で、帰宅時間が遅くなると、
必ず由美子はいつも以上に荒れた。ぼくはそれが怖くて、
ますます遅くなり…そして夜遅くまで、彼女をなだめる
ために、寝つくまで抱きしめて謝り慰めつづける日々を
送っていた。
そう言う繰り返しのうちに、由美子は次第々々に…
心身ともに疲れ果てたのだろうか?
この世から消えてしまいたいと思ったのだろうか?
風邪をこじらせて、まだ若い彼女が、肺炎を起こして
死んでしまったのだった。
 
あれから何年になるだろう。いつもいつもぼくの心は
ぼくを置いて去っていってしまった由美子への思いで
いっぱいだった。
あんなに愛し合って結婚したはずなのに。
彼女はいつも
「結婚なんて、あたしするべきじゃなかったのよ。
しちゃいけなかったのよ」
と言っていた。

ぼくが「なんで?なんで結婚しちゃいけなかったの?」と
きくと
「わからない」とこたえるのだった。


これはなにか、たとえば実家に問題があって、彼女が
幼少の頃に苦しんでひどく傷ついたことがあって、
そのことを幼い彼女が自分の心の中で封印してしまった
とか、そう言う事情があったのではないだろうかと
ぼくは予想している。
彼女の両親が片親しか結婚式に出席せず、その後も
ほとんど付き合いがなかったからだ。
そして彼女が実家の話しをしたためしがなかったからだ。

ぼくと結婚しても、自分の親と同じように失敗すると
恐れていたのだろうか?
ぼくが彼女を受けとめ損ねて、彼女をわかってやれなかったから?
ぼくの心はずっとずっと堂々巡りだ。彼女の心が壊れていくのを
どうしようもなかった、それどころか逃げ腰だった自分を責める
ばかりだ。

ぼくはそんなことを考えながら、月夜の町の中を歩いて
いた。

しびれるほどに寒い夜だった。人通りはほとんどなかった。

ぼくはふと立ち止まった。
月の光に照らされて、一軒の庭先がひときわ輝いているのが
ぼくの目に映った。
つややかな寒椿、山茶花、そろそろ終わりかけのつわぶき、
葉の落ちた裸の木々、その他いろいろな樹木や落ち葉などが
輝いて見えた。
あたりに影をさす高い建築物がないからだろうか?
庭に面した日本風の家屋も威厳を放っているようだった。

 「こんなところにこんな家が建っていたんだ」
ぼくはつぶやいた。そのときだった。

「良かったら入りません?」背後から小さな女の声がして、
ぼくは振り向いた。


ぼくはあ!っと叫びそうになった。そこには由美子と
そっくりな女性が立っていて、ぼくを誘っている。
なにか不思議な魔法をかけられたようにぼくはふらふらと、
なぞめいた微笑を浮かべるその女性の後からついて、
門をくぐった。

 「こういう宴もいいでしょう」彼女はぼくを家の縁側に案内し、
座らせて、そして家の奥へと消えた。
 
 満月がとても美しかった。凍てつくような冬の空、
12月にしては寒すぎる冬の夜空に、冷たく、美しく
輝いて、庭先を晧々と照らしていた。
ぼくは魅せられたようにその庭を見つめていた…。


 「お待たせしました。何もないのでありあわせのもの
ですが、どうぞ上がってくださいな」

 女性の声がまた不意に聞こえた。ぼくが振り向くと、
由美子にそっくりなその女性は盆をもって立っていた。
 
 盆の上には、山菜の白和えや、小さな白身魚の焼き物、
吸い物、小さくてとてもきれいな手まり寿司など、
変わったものが並んでいた。
すぐに用意できるものではないし、かといって取り合わせも
妙なものばかりだった。何か腑に落ちないものを感じ
ながらも、ぼくは箸を取った。
彼女はかすかなほほ笑みを顔に浮かべてぼくが食べるのを
見ていた。
彼女の視線を感じて、ぼくは彼女の催す月夜の宴に
従うことにした。

ぼくは食後に出された熱いお茶をありがたいと思って、
手に取った。
暖か味のあるものはほかにはないのか…?


「知らない者にどうしてこのようなものを…」と、
食べ終わった後ぼくは尋ねた。

 彼女はにっこりと笑った。「さぁ…今宵は月がきれい
ですから」
 
ぼくはふと寒気を感じて、ポケットにズボっと手を
突っ込んだ。
そのときだった。手の先に何かが当たった。取り出して
見てみると、それは指輪だった。

ああ!!この指輪。この指輪がもっと早くに見つかって
いたのなら。
もっともっと早くに気がついていれば…。

彼女が荒れに荒れたあの夜…出先で指輪をぼくに預けて、
手を洗いに行って、戻ってきたら指輪が消えていたのだ。
いや、ぼくが見失ったのだ。とうとう見つからなかった
あの指輪。

指輪。ぼくたちのエンゲージリング。
プラチナのかまぼこ型の台に、小さな小さなカボション
カットのスターサファイアが埋め込まれている
珍しいデザインの指輪。


彼女が気に入って、どうしてもどうしてもこれがいいと
言い張るので、根負けして買った、エンゲージリング。
彼女がその指輪をどれほど大切にしていたことか。
そして彼女にどれほど似合っていたことか。
 
 
ぼくは視線を感じてふと顔を上げた。
彼女の目がぼくの手にした指輪を見ている。
彼女の目は爛々と輝き、口元は大きく微笑んでいる。
ぼくは背筋がぞくぞくした…。


急に強い風が巻き起こった。目を開けてられないくらい、
轟々と冷たい風が吹き荒れて、ぼくは手で顔を覆い、
背中を丸めて縮こまった。
風が吹き付ける…


しばらくして風が収まってきた。ぼくは顔を上げた。
 
すると、そこにはもう先ほどの家も、庭も、そして
女性もいなく、ぼくはぼんやりと月光の下、何もない
空き地の片隅で突っ立っていたのだった。


手にはもちろん、指輪はなかった。
ぼくはしばらく茫然自失としていたが、やがて我に返り、
帰途につき始めた。
なんだか少々心がすっきりしたような気がする。
気がつくと町の中にはジングルベルが響き渡り、
ケーキ屋の前ではサンタの格好をした男性がクリスマス
ケーキを売っている。


そういえば今日はクリスマス。すっかり忘れていた。


あれは由美子へのクリスマスプレゼント。


終わり



 




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