旅の終わりに




僕は画家の端くれだ。端くれというのも、無名の売れない画家で、
全くのひとりぼっちで、この先も見えているからだ。
きっとこのまま終わるにちがいない。

でも僕はこの見える周りの世界をとても愛している。
世界はなんて美しいのだろう。
僕はいろいろな国と、そして僕の国中を旅してまわったが、
心にある僕自身のカメラで撮影したそれらの風景や人物像が、
僕の脳裏に焼き付いていて、そしてそれが僕の好きなときにいつでも
よみがえってきて、それをキャンバスに写し取ることができるのだ。


どんな色彩も形も僕をとらえてやまない。僕は生きたカメラのように、
すべてを吸収していく。何も持っていないけれどそれだけが僕の持ち物で、
それが偉大な宝物なのだ。

僕は年老いた人を決して醜いとは思わない。
どうして人は若い頃を一番美しいと思うのだろう?
僕は楽しそうに遊び、走り回る子供達の姿と、年取ってつかれきったようすで
座り込む年取った女の人の姿、どちらかと言えば年取った女性の方を選ぶだろう。
子供も、たとえば可愛らしい様子の小動物も、僕自身のカメラでとらえているけれど、
でもキャンバスに写し取ろうと思うのは後者の方なのだ。

顔のしわは木の年輪。手や顔のシミも、浮き出た血管も、節くれ立ったこぶしも、
僕は描きたいと思わずにはおれない。それらはその人の生きてきたその歴史を示す
シグナルだ。証明書だ。桜の老木を思い起こしてみると良い。

長年の重労働で日に焼けた肌、刻み込まれたしわ、それでも抜けるような、芯の通った
あのまなざしを浮かべた、あの笑顔。
お金がいっぱいあって、化粧も厚く塗り込めた上流階級のご婦人方のすました、
でも何の「証明」も出てないあの顔つきよりはずっと素敵だと思う。

僕はあるとき、ある国で見た、光景が忘れられない。
僕はその国の田舎の方のある村の中を歩いていた。どこの国でも子供達は元気だ。
たいがい沢山の仲間と走り回っている。そのとき見かけた子供達もそうだった。
犬も一緒だった。黒い細い子犬がどこまでもついて行っている。
一緒の仲間のようだった。僕は木陰で突っ立って、少し休憩しているところだった。
いろいろな種類の家畜の鳴き声やにおいが、昼下がりのよどんだ空気の中で
陽光を浴びて僕を和ませていた。

僕の前には道が一本走っていた。土埃りのたつ、石ころだらけの曲がった坂道だった。
その道の向こうには家が、建っていた。

家の周りには土塀がめぐらされているので、家の様子は見えないが、
オレンジ色に鈍く光る、板葺き屋根が見えていた。土塀も午後の日差しを受けて
薄いオレンジ色に光っている。

僕のイメージの中ではすべてがくすんだオレンジ色に光っている。そしてその
オレンジ色の風景の中に、その真ん中から少しずれたあたりに、土塀の前に少しゆがんだ古いいすに、一人の老女が、濃い灰色をして座っているのだ。

その老女のことが気になって、僕は次の日の朝もまた、その木の下にやってきた。
すると老女はいなかった。僕がなんだか絵の中の足りない部分を見たようで
物足りなく思っていると、しばらくして老女がゆっくり出てきた。そして塀の前に
置かれたいすに腰掛けた。そして僕があちこちうろうろして―丘に登ったり、
違う場所に行って、牛を見ていたり、濁った沼で泳ぐ子供達を見ていたりした――、
時々見に来るといつもそのいすにじっと腰掛けているのだった。そして夕刻になると、
また家に戻っていく。

どんな事情で、どんな理由で彼女はずっといすに腰掛け続けるのか僕には
わからなかったが、その最初に見たオレンジと灰色の光景が忘れられなくて、
僕はしばしばその場所に戻っていってしまうのだった。

そしていろいろな色を見た。

当たり前のことだが色と時間は密接な関係があって、僕はその時々のそれぞれの色を、
紬ぎ出すことに大きな関心があったのだ。そしてその年輪の刻み込まれたような、
年取った人々の形を。

僕は帰国したらすぐにそのときのことをキャンバスに描き写すつもりだった。
濃淡の様々な2つの色。くすんだ砂色がかかったようなオレンジ色の背景と、
青みがかった灰色の老女。でもそれらは極細の線を絡み合わすようにして、
繊細で紡いでいる最中の糸のような線でもって、背景と人物像を描き出すのだ。

僕は絵を描く前、それはそれは気分が昂揚しする。思い描いた通りに描くことが
できれば、どんなに幸せなことか。

腕が追いつかなくて、できあがってみれば、平凡でつまらない絵になることの方が
多いのだ・・・。僕の老女の絵はどのように完成するだろうか?
その旅行は、見るものすべてが僕の心をとらえて離さなかった。猛烈な創作意欲に
駆られて僕は帰国した。毎日毎日スケッチブックとキャンバスに向かって絵を
描き続けるのだ。そう考えただけで僕はうっとりした・・・。



僕は帰る飛行機の中で、幸福感と疲労感をない交ぜにしたような気分の中で
心地よくまどろんでいた。
光と時間と色との関係をはじめて見いだして、そしてはっきりと絵画のワンシーンとして
とらえることのできた、この記念すべき旅行について、僕は幾度も幾度も思いめぐらした。
いろいろな風景を、描きたいと思わずにはおれないような生命力に満ちた人々のことを、
明確に、今まで以上の性能を獲得したカメラのように、僕は思い起こすことができた。

一日前はあれほど光と色に満ちた国にいたのに、ぼくはもう、あの緑の濃い、
僕の国に帰ろうとしている。そのことに少し違和感を感じた。
ぼくは放浪者であるつもりなのに、やはり自分の国に束縛されていて、
解き放つことはできない。

僕は自分の家を思い浮かべた。それはたいそうな魅力を持って、僕の心をとらえた・・・。
あの人里離れた山村の、古い民家で誰も住まなくなったのを安く貸し出してもらった、
僕の家。太い木の梁と白い壁、土間と古ぼけた畳・・・。あのみずみずしい、空気。
しっとり濡れた、そこに住む生物すべてを潤すみずみずしい空気と土。
青々とした緑にあふれた家の周辺。

不便だけれど僕には憩いの家・・・。僕はその家にもうすぐ帰れるのだ思うだけで、
心が躍る気がした。僕は光と色に満ちた、乾いた国に行って来たので、なおさら
湿気を必要としていたのかもしれない。
あるいはあまりにも強い色彩を見続けていたので、少し渋い落ち着いた色を
見たくなったのかもしれない。
僕がいろいろなことをとりとめもなく考えているうちに、そろそろ着陸態勢に
はいるのでシートベルトをするよう、指示するアナウンスが入った。
高度がぐんぐん下がり始めたのを僕は感じた。どうして飛行機の中はこうまで
大きな音がし続けるのだろうか?なぜ人は慣れてしまうことができるのだろうか?
僕はいつまでも慣れることができない。それでも海外に出かけるのは、
我ながらおかしく思うけれど。絵を描くための刺激が欲しいのだろうか?

僕は普段あまり食事を多くとらない。必要とする最低限だけ食べる。
それ以上食べるのは罪悪感を感じるからだ。
でも飛行機の中では、幾度か大変な量の食事が出てくるのだ。
それは重荷だったけれど、でも自分としては珍しい満腹感を得るので、
それはそれで面白いことだった。

僕は前のスクリーンに目をやった。下に町の景色が見えるようになったからだ。
田圃と住宅地、学校・・・、繁華街。市役所などに置いてある町の模型のようだ。
ちっぽけなのだが懐かしさを感じる景色。すぐ目の前で起こっているかのように、
僕は町の様子を頭に思い描くことができた。
帰ってきたのだ・・・。僕の家までまだずいぶんあるけれど、
でも僕は帰ってきたのだ、と言う気がしてきた。

いよいよ空港が目前に見えてきた。ますます音は大きくなり、耳元でつんざくようだ。
そして着陸する瞬間、僕は不思議な体験をした。
あれほど強い光は今回の旅行で行ってきた国でも経験したことがなかっただろう。
それは閃光として目を焦がし、脳裏にまっすぐに進んできて突き刺さった。
ぼくは何が起きたのかわからなかった。ただ心地よい光でなかったことは覚えている。
太陽におちたイカロスのように僕は焼けこげ、何もかももがれたような、
激しい衝撃に巻き込まれたのだった。
僕は自分は死につつあるのだと思った・・・。





僕は強い光に包まれて、とても熱かった。それからそれを上回るひどい苦痛を
感じた。何かにたたきつけられて跳ね返ったような気がした。それから先は
何も覚えていない・・・。とても苦しかった。苦しくて痛くて、熱くて、
誰か助けてくれる人はいないのか、と思った。僕は眠っているのか、起きて
のたうちまわっているのか、もうなんにもわからなかった。あの美しい記憶さえも
どこかに遠のいていくような気がした・・・。
僕はある朝、周りで人の声がするのを聞いた。割とにぎやかな場所にいる。
いろいろな物音や、足音がして、結構騒々しい。
「全く忙しいってのに、何でこんな丸太ん棒みたいになんにもできやしない患者を
かかえこんじゃったのかしらね」
「どこの人間だか身元もわかんないんでしょ。政府とか飛行機会社とか、
なんか補償はしてくれるのかしら」
「そりゃしてくれるんじゃないの。そんな算段なしに、院長がこんな患者を
引き取る許可だすわけないじゃん。よっこらせっと。ああ重たい」

「そのうち死ぬわよ。でも普通にしてたらいい男だったのかしらね」
「どうかねぇ。こんなんじゃもうわかんないわよね。焼けこげた丸太ん棒みたい
なんだもの」
よっこらせっといって動かしたのは僕の体だ。と言うことは僕を動かしている
この人達は僕について話しているのだろうか?
僕は何か言いたかったけれど、体を動かすこともできなかった。
目を開けることも、口を動かすことも舌を動かすことも、手足を動かすことも
できなかった。
いったいどうなってしまったのだろうか? 話からすれば、僕は飛行機事故に
巻き込まれて(きっと着陸に失敗したに違いない・・・だって滑走路を目前に
してたのは覚えているのだから)、大けがをしたようだ。
もしかしたら大けがどころじゃなかったのかもしれない。
僕の体はどうなってしまったのだろうか? ああ、何もわからない。
頭が痛い。割れそうだ。体中痛みもひどい。そして僕は叫びたかった。
僕は身元もわからない丸太ん棒みたいな死体もどきじゃなくて、れっきとした画家だ。
売れっ子ではないけれど、自分の魂を込めた絵を描くことのできる画家だ。
旅行に行く前はこのまま無名のまま終わると思っていたけれど、今度の旅行で
新たなる境地に目覚めた画家だ。僕はこれからすばらしい絵を描くことができるだろう。
僕はつかんだのだから。体さえ治れば、僕はすぐにそれに取りかかるだろう。
だから優しくしてください。お願いだから。そして体を元の通りに治して。

僕は祈り続けた・・・。来る日も来る日も。でも誰も僕に話しかけず、
体は乱暴に扱われ、看護婦達は暴言をはいた。僕は次第に自分自身のことが、
その暴言によってわかるようになった。
どうやら僕は飛行機事故で奇跡的に助かった数人の乗客の内の一人らしい。
だが助かったとはいうものの、体中にひどいやけどを負い、そして両手と両足を
無くしたらしい。
どんなひどい有様だろう・・・。

頭の中で想像しないようにしなければ気が狂いそうになる。

でも僕には一つわかったことがある。僕はもう決して絵を描くことはできないと
言うことが。ほとんど植物人間か焼けこげた丸太ん棒のようになってしまって、
何ができよう?
でも僕の心の中には僕の愛用のカメラがまだあった。
僕のカメラがとらえる美しい色彩と形はいまだ撲を魅了する。
ある景色を思い浮かべたいと思えば、即座にその景色が浮かんでくるのだ。
そしてそれが僕自身が描くであろう絵の姿になって再び浮上する。
僕が選択したすばらしい景色の、僕によるアレンジメントだ。
新しい世界の創造だ。描きためていけば僕自身の美術館ができあがるだろう・・・。
僕一人だけしか見るものはいないのだが。
僕の起きている時間はこの夢のような創造によって、紛らわされていることも
多かったけれど、僕には、もうなんにも希望が残されていない。
僕は今までひたすら絵を描いてきた。僕が絵を描くべくして生まれてきた人間だからだ。
僕は何も悪いことをしていないじゃないか。なぜこんな目に遭うのだ?
思い当たるとすればずっと自分一人だけで生きて、誰も愛さなかったからだと
いうことくらいだ。自分自身を愛しすぎたからだというのか。
でもだからといって、これほどの目に遭う程のことをしただろうか? 
否。
僕はひたすら絵を描いてきただけだ。
僕は墜ちたイカロスだ。

僕は死にたい。もう生きていたくない。僕は死ななければならない。
僕の頭の中の創造と逆のことをしてみれば死ねるかもしれない。
僕は今からそれを実行することにする。僕のカメラが僕が死んでいるところを
捉えるだろう。


さようなら、僕の愛する僕の美しい世界。





                終わり

 

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