水晶玉

今日も双子の弟タカに愚痴ってばかりだった。彼はただ冷笑しているだけ、
水晶玉の向こうでそら見たことかと言わんばかりに。それでも私は彼に話しかける。
数年前に彼をかなり怒らせたことはさておき、彼に思っていることを何でも話す無神経さ。
彼が冷笑するのも無理はない。

夫とは数年前恋愛結婚したのだけれど今はもう冷え切っている。
私だけの思い込みだったのか。
とても愛し、理解しあっている理想のカップルだと思っていた。平凡だけど幸せな生活。
暖かい家族。そんな幻想に執りつかれていただけ。
こういうのってよくある話なんだろうけど、それでも私は愚痴ってばかり。

あれも不満これも不満。彼があれもやってくれない。これもやってくれない。
会話がない。あんなに愛し合っていたのに。そんな時に彼がつぶやく。

「だから反対したのに、あんなやつ」
「ほうっといてよ」
「ふん」
会話はいつもそこで途切れる。
彼は結婚に反対したのだ。でも彼の場合・・・私と彼の熱愛に対する嫉妬だと思って
取り合わなかったのだ。今から思えば嫉妬だけではなかったのだろう。
何か直感、みたいなものがあったのだあろうか?

タカは物心ついた頃からずっといっしょにいた。小さい頃はいつも二人でくっついていた。
二人でいれば安心、二人だけの世界にいた。

ある日公園で私たちがいつものように二人だけで遊んでいると、知らない男の人が
近づいてきた。にやけた顔のお面をかぶっているみたいな奇妙な男の人だった。
彼は私たちのそばまで来るとニヤニヤしながらいった。

「君たちはいつも二人だね。いい物をあげるよ。これはね、二人がばらばらに
暮らすようになった時にきっといるものだよ」

私たちは理解できなかった。いつか二人がばらばらになる?そんな日が来るの?
そんなことあるわけないじゃない。
でも私たちはそれの非常な美しさに惹かれて、それを受け取った。

 それは水晶玉だった。子供の手のひらに包み込める程度の小さな水晶玉。
とても美しかった。

「これはねお互いどんなに遠くにはなれていても、手のひらでコロコロするだけで
君たち二人がお話できる不思議な魔法の玉なんだよ。
良いかい?大事にするんだよ」
私たちはこっくりとうなずき、その水晶玉をぎゅっと握り締めた。

それから大事にずっと持っている。
 私たちが成長するにつれて、私たちは離れていることが増えていった。
タカは私とずっといっしょにいたいと思っていたようだったけど、
私は女の子の友達といることが増えた。そして思春期にさしかかると、
女友達だけでなく、彼氏ができたり、クラブ活動に入ったりして、あまりいっしょに
二人だけで過ごすことはなくなっていった。私はにぎやかにやってるのが好きだったが、
彼は一人なにか高尚な世界に耽溺しているかのように、美術館賞やら読書の世界に
引きこもって、友達を作ることもなかった。
私が水晶玉のことを忘れているかのように見えても、彼は何も言わなかったけれど、
ふとしたときの彼の視線を受けると、まるで自分が何か間違っていることをしているような
気分にさせられるのだった。でも私は美術のことは何もわからなかったし、
本を読むのも好きでない、遊び好きで平凡などこにでもいる少女で、彼といっしょに
いるよりは他の友達といるほうが気楽だったのだ。

 私が彼から距離をおいたのは・・・多分彼の私への愛情のかけ方がとても濃くて
それがあまりにも重荷になりすぎていたからだ。彼はいつも私といたがり、
そして私が自分以外の友達と過ごすことを嫌がった。にもかかわらず、
私は後ろ髪を引かれながらも大勢の友達と楽しくすごしたいと思ったのだ。



手の中のひんやりとした感触の水晶玉。私はコロコロと転がす。
応答はない・・・。
そういうことはよくある。というか、たいてい応答なんてありやしない。
そしてほんの時折、ふとした時にタカの声が聞こえるのだ。声は直接心に届くような感じ。
水晶玉を日の光の中にかざして見ると、彼の姿がかすかに見える。
どこでどうやって過ごしているのだろうか? 
すっかり日焼けして、髪の毛の色も漂白されたように薄くなって、以前よりずっと
やせている。
玉の向こうから私を見つめる時はいつもあの冷ややかな笑みを浮かべている。 

彼は・・・私が結婚する頃、ふいに姿を消した。どこに行ってしまったのか風聞すら
届かなかった。彼には友達がいなかったからだ。

私はなぜか結婚してから猛烈な孤独に襲われるようになった。誰にも会わない毎日。
友人たちはまだ結婚をしてない人がほとんどで、華やかに独身生活をエンジョイし、
資格をとったり旅行に行ったり、私とはぜんぜん違う世界に住んでいるように思われた。
ひどく憂鬱で、結婚してからは夫とも前ほど明るく弾んだ会話などなくなった。
なぜだろう?
何でこんなに私の思っていた生活と違うのだろう?

その頃私はふと思い出したのだ。あの水晶玉を。ずいぶん長いこと忘れて
どこかにしまいこんだままになっている水晶玉。

どこに行っただろう?私は散々探した挙句、独身時代のガラクタ類を入れた
段ボール箱の中の、小さな巾着袋の中から探し出した。
大事な大事な肉親に久しぶりに出会ったような懐かしさを覚え、私はしっかりと握り締め、
それからはずっと身近に置いている。
それが小さな支えになっていることを夫はもちろん知らない。

私は手の中でコロコロと転がす。ひんやりした感触としっかりした重さが
私には常に必要なのだ。

ときたまの深夜。彼の返事がある。「なに?」
「なんでもない。今は夜中。何してたの?」
「別に。画集を見てた。オノレ・ドーミエ」
「知らない」
「ふん」
それで終わり。
大事に持ち歩いているだろう画集が何冊か。しょっちゅう見ているので背表紙は
擦り切れ、綴じ糸がほつれて見えていることだろう。補修したセロテープが黄ばんで
ぱりぱりになって
跡を残してはがれているかもしれない。
ほかの荷物は少なくてもそういうものはきっと離さない、そんな気がする。

 私はよく彼のことを想像する。いったいどんなところに住んでいるのだろうか?
どこかに定住したりせず、放浪しているのだろうか(ありうることだ)?
どんな人が周りにいるのだろうか?いったい何をして暮らしているのだろうか?


どこか外国の大都会の、決して潤っているとは言いがたいがにぎやかな下町の、
狭い通りの両側にそそり立つ高い石造りの建物。薄暗く騒然とした通りの、
古いアパートメントの小さな一室。画集やスケッチブックなどで散らかった部屋。
彼はどこかで働きながら、絵を勉強している。

あるいはアメリカ大西部に広がる荒野の、小さな商業の街。
ガソリンスタンドと、カフェとモーテルと小間物屋くらいしかないような荒れ果てた町。
彼は・・・?何をしているだろう?
彼が砂漠のような荒野を愛し、孤独を愛し、あまり人と口も利かずにカフェか何かで
アルバイトをしているところを想像してみた。

彼は決して自分のことを話さなかったので、私はただ想像をめぐらすしかなかったのだが、
それはなかなか楽しいことだった。気がつけば私は想像の世界に逃げ、
そして双子の弟のことを考えていた。


「子供が生まれたの」
「へぇ・・・?」
「女の子。せっかく生まれたけど、父親は初めての我が子に興味がないみたいだわ。
何しろ私の妊娠中に他の女の人と付き合ってたんだから」

「ふうん・・・なんでわかったの?」
「女の人から電話がかかってきたの。別れて欲しいって。そんなのってある?
私は妊婦だったのよ。妻が一生懸命頑張ってる時にそんなことする人なんて、
いると思う?」

「いたんだね」
彼が冷ややかに笑っているところが目に浮かぶようだ。
「うるさいわね!今まで黙ってたのはあんたがそんな風に冷たく笑うからだわ!
馬鹿にして!」

「馬鹿にしてるのはあんたのだんなだろ。八つ当たりするなよ」
確かにそうかもしれない。私は黙ってしまった。その日はそれで水晶玉をころがすのは
もう止めてしまった。小さな赤ん坊を抱え、私は途方にくれていた。ど
うして誰も私には優しくしてくれないの?
なんでこの赤ちゃんには幸せな家庭が作ってあげられないの?
いろいろ考え出すと、涙が止まらなくなるのだった。
私が何をしたって言うの?ただ平凡な普通の幸せを求めたって言うだけじゃない。


私はしばらく水晶玉を転がさなかった。とても忙しかったのだ。
彼に腹を立てていたということもあったのだが。


あれほど姉ミユキに腹を立て、彼女から離れて飛び出してきたというのに、
僕は水晶玉を手放すことは出来なかった。どうせ彼女とは話も合わない。お互いに
腹を立ててばかりいるというのに、どうしても水晶玉を捨てることはできないのだ。

ミユキは僕が近づくと後ずさりする。僕が手を差し伸べるとはねのける。
僕が話し掛けるとなるべく口をきかなくてすむようにそっぽを向く。そういう性格だ。
そのくせ僕を必要としている。僕にそっとそばにいておいて欲しいらしい。 
結婚する前にあれほどひどいけんかをしたというのに、それを忘れたように、
だんなと仲が悪くなってからはしょっちゅうコンタクトを取ってくる。彼女は僕のことを
甘えん坊で僕が彼女なしではいられないと思っているらしいが、本当のところは
きっと逆だと僕は思っている。

彼女はしょっちゅう僕の居場所を聞いてくる。誰が教えてやるものか。
そうやっていろんな事で頭を悩ましているといい。彼女の悩みなんてどうせ
「誰も私になんにもしてくれない。私がこんなに尽くしているのに」と自分勝手な愚痴
ばかりだ。

 
今僕は砂漠にいる。外国のとある海辺の港町で、日本では多分無名のものすごく偏屈な
日本人学者と知り合って、彼に誘われて砂漠にやってきたのだ。

砂漠を横断する隊商の通り道のわきにある小さなオアシスのそばの、いくつかの温室
からなる小さな植物園が彼の仕事場だ。
その植物園はある石油成金の大富豪が建てたもので、
ほとんど酔狂だとしか思えないような、熱帯植物の温室があったりする。
そんな大量の水が要るような温室を作って湧き水が涸れてしまわないのだろうか?
それは素人考えと言うものなのだろうか?


その大富豪はほんの時折、彼に取り入り彼の富の甘い蜜を吸い上げようとする、
小成金のゲストどもや、料理人などの使用人を連れて大挙してやってくることがある。
ご自慢の熱帯植物園でパーティーをやるためだ.熱帯植物園は彼の大いなる富の象徴だ。

そのばかげた成金とは違い、かの学者は砂漠の緑化についての研究をしているらしい。
僕にはさっぱりわからないが、とまれ、僕は彼のために温室の管理をしている。
単純な仕事で後は好きなことが出来る。

僕は建物の外の砂漠にでて長い時間にわたって砂漠を見つめていたり、
植物園の中の植物を観察したりしてすごしている。あるいは絵を描いたり、
持ち歩いている画集を見たり、学者の大事にしている植物の中からある種の植物の
葉っぱをこっそりちぎって、タバコのようにして吸ってみたり(大きな声ではいえないが
かなりの陶酔をもたらしてくれるのだ)。

砂漠は面白い。その大規模な自然の芸術は、日本では考えられないほどのものだ。
それは僕に自分自身の矮小さを思い知らせる。目や皮膚が焼け爛れるような思いを
しながら砂漠を見つめていると、水晶玉が何かを告げる。気配がするのだ。
そして手にもって転がすと彼女の声が届く。

「今何してたの?」
「さあね」
「もう、ちょっとくらい何か言いなさいよ」
「いやなら転がさなきゃいいじゃん、それ」
「もう知らない!」
とこんな調子だ。僕はわざと彼女を怒らせているのかもしれない。彼女は馬鹿みたいだ。
同じ双子なのに、なぜ僕らはこんなにも違うのだろうか?

ある日僕をギョッとさせるような彼女の言葉が転がり込んできた。
「あのね、私彼と別れたの。赤ちゃんを連れて一から出直しだわ。困ったわ・・・」
「ふん。自分で決めたことだろ。なに泣き言言ってるんだよ」
「そんな言い方ってないじゃない!本当に困ってるのよ。それにあなたの望みどおりに
なったんだからちょっとくらい優しくしてくれたっていいじゃない!」

「あのね、それだからあんたは甘いんだよ。みんな誰でも一人で自分の2本足で立って
生きてるんだよ。なに甘いこと言ってるんだよ。自分ひとりだけが不幸でかわいそうだと
思うなよ」

「そ、そんな・・・ひどい。あんたって思いやりも何もないのね。私はね、あんたに
帰ってきて欲しいって言おうと思ったのよ。仲直りできるいい機会だと思ったのよ。
もう良いわ!
知らない!」

「馬鹿だな。なに白々しいこと言ってるんだよ。どうせ僕と仲直りすると言うよりも、
僕が帰ってきて、だんなの代わりに働いて稼いできたら楽できる、って思ったんだろ。
見え透いてるよ。赤ん坊だって僕がそいつを見りゃ、かわいくなるとかなんとか
考えてたんだよな。わかってるよ。ミユキの考えることくらい」

僕の言ったことは矢のように彼女の心に突き刺さったらしい。それっきり黙ってしまった。
彼女は相当傷ついただろう。赤ん坊を抱えてさぞ大変だろう。それはわかっている。
だが僕は今の生活、当ても確かなものも何もない、胡散臭い生活が面白い。
2度と日本には戻らない、そのつもりだから、彼女を甘やかすつもりもない。
僕はミユキを冷たく突き放した。


ある日僕はいつものように砂漠にでかけた。帰ってきたがどうも調子が悪い。
ゾクゾクと寒気がして頭が痛くなった。どうも風邪を引いたらしい。
その日は学者に言って早く床についた。

僕はベッドの中でひどくうなされていた。僕は夢の中でひどく暑い炎天下の砂漠の中を
とぼとぼと歩いている。温室は遠くに見えるがなかなかたどりつかない。
僕はひどく苦しかった。あまりに暑いので、息もまともに出来ないくらいだった。
そのうちふらふらとよろけた僕は、足を何かに取られてすっ転んだ。
転んだ僕は、なぜか巨大なすり鉢状になった砂の中にどんどん埋もれていった。
這い上がろうとしても、何かをつかもうとしても砂は手ごたえもなく僕の手をすり抜けていき、
僕はどんどん埋もれていく。これではアリジゴクの罠にかかったアリと同じだ。
僕はそう思った。

もうだめかと思った時、僕は手に何かをしっかりとつかんだ。ああ、これで助かる。
僕はほっとしてちらりと手の中を覗いた。そこには水晶玉があった。
もうだいじょうぶだと安堵したその時(なぜ水晶玉で助かると思ったのかわからないが)、
上で声がして僕は半分埋もれた砂の中から顔を上げた。口の中にも砂が入ってきて
苦しかった。
そこにはどこか見覚えのある顔があった。学者が立っていたのか、いや学者では
なくてもっと昔に出会ったことがある人物なのか。それはにやけたお面をかぶったような
男が立っていた。にやけたお面なのだがその男がひどく憤っているのが僕には
なぜかわかった。彼の声はひどくとげとげしかった。

「君たち双子がどんな苦労も世間の荒波をも二人で乗り越えていけるようにと、
その昔助け舟を出してやったものだが、君たち二人はその気がまったくないらしい。
水晶玉を返してもらおう」

その男が声を荒らげて言うと、僕の周辺で砂がさらに荒々しく逆巻いた。
僕は叫びながら助けを求めたがその男は恐ろしい顔をしながら去っていった。
僕はとうとう砂の中にどんどん埋もれていった・・・息も出来ないほどの苦しさを
味わいながら。

僕はやがて目を覚ました。はあはあと息を切らし、とても暑くて体が燃えるようだった。
こんなひどい夢を見てうなされるなんて何年ぶりのことだろう。
それにしてもなんてリアルな夢を見たことか。
しばらくたっても体の震えは止まらなかったが、
その震える手でパジャマのポケットをさぐってみた。だがそこには水晶玉は影も形も
なかった。
ふらふらしながらあちこち探してみたが、不思議なことにどこにもなかった。

僕はそれから1週間近くも寝込んで、やっと起き上がれるようになり、そして体が
回復すると、学者に辞表を出した。なぜか知り合った時からとても好きで尊敬もしていた
のだけれど、僕は日本に帰ることにした、と告げた。
学者はひどく残念がったけど、あきらめて辞表を受け取ってくれた。
そしてそれからしばらくたって、隊商が通りかかったときに、僕をその隊商に託して
送り出してくれた。いろいろな思い出が残っていたけれども、僕はもう砂漠に未練は
残っていなかった。



僕はやっとのことで日本に戻ってきた。僕は今ミユキが住んでいるところを知らなかった。
そこで実家に寄ってみると、両親とともに彼女がいた。
そうか。やっぱり彼とは別れていたのか。ミユキは僕の記憶にあるよりもずっと大人っぽく、
優しげな顔つきになっていた。

ミユキは僕の顔を見ると、こわばった警戒心に満ちた顔つきになった。
僕は彼女に近づくとしっかりと抱きしめた。彼女は体を堅くしてそっぽを向いていた。


「いままでごめんな。僕がわるかったよ」
「どうして帰ってきたの?」
「あの・・・水晶玉が消えたんだ」
「私もよ。ある晩ひどくうなされて。起きたら無かったの」
「僕もだよ。いっしょだよ」
彼女がはじめて僕の顔をじっと見つめた。
「そうだったの」
「うん。だから帰ってきた。せっかく双子の姉弟で生まれてきたんだから、これからはミユキ
のことを助けるよ。もっと仲良くしなきゃな」

「本当に?そうなの?」
「うん」
「なんかタカじゃないみたい」ミユキがクスリと笑った。

それから僕らは一緒に暮らしている。いまだにケンカばかりしているが、以前と違って
水晶玉が無くてもだいじょうぶになった。
お互い好きな人が出来たらその時は引き止めないで笑って送り出そう、と取り決めもできた。
でも彼女の娘がかわいくて、僕にとてもなついているので、ミユキに新しい恋人でも
見つかった日には、また荒れない、という自信は僕には無い。



                              完



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