「戦争と平和の経済」

5月の後半に入って、アメリカ国内はますます「平常」に戻りつつあります。イラク
戦争の間は閑散としていた映画館も、『Xメン2』の予想外のヒットに加えて、今週
半ばからは『マトリックス・リローデッド』が公開されて最初の4日間の予想興行収
入(予想値)が135ミリオン(約160億円)というものすごい勢いでお客を集め
ています。

戦争の後遺症なのでしょうか、私はいまだにアクション映画を見る心の余裕がありま
せん。勿論、人々は戦争だって本気で支持していたわけじゃない、という言い方もで
きるのでしょうが、人々の「あっけらかん」としたムードには違和感を感じます。

時代を先に進めなくてはならないというのも分かります。映画の人気SiFi(サイ
ファイ=SF)シリーズがお客を集めないようなら、消費の回復などおぼつかない、
確かにそうでしょう。ですが、イラクではいまだに政府機能が停止し、社会インフラ
も麻痺しているというのですから、もう一方の当事者の「健忘症」ぶりは余計に気に
なるのです。

アメリカ社会が浮ついた「平時」気分に流れている一方で、世界はまだまだ落ち着き
ません。5月12日のサウジアラビア、リャドで起きた爆弾テロはアルカイダの仕業
と言われています。その一方で、韓国の廬武鉉大統領のワシントン訪問では、米韓関
係、そして北朝鮮問題について意見交換がされたようです。

リャドの爆弾テロ事件では、月曜日のテロの二日前に、アメリカの当局者がサウジに
対してリャドの外国人居住区に対するテロの危険が増している、という警告を行った
のだと言うのです。その警告をサウジが軽視したこと、そして犯人はアルカイダの残
党らしいという憶測に基づいて、アメリカはサウジ当局への非難を始めています。

ですが、アルカイダというグループの多くは、元来はサウジの反体制派というルーツ
を持っていると言われています。そうなると、サウジ国内でのアルカイダなるグルー
プの活動は、サウジの国内問題に他なりません。サウジにはサウジの国内事情があり、
異教徒であるアメリカ軍の駐留を許すことに反発する世論には、一定程度アルカイダ
的な考え方への同情があるようです。

そこでアメリカによるテロ警報がもたらされたからと言って、サウジの治安当局が厳
重な警戒態勢を敷いたらどうでしょう。王室に対する世論の批判エネルギーは増すだ
けです。むしろテロリストの思う壺ということにもなりかねません。

ところが、アメリカのメディアが叫ぶのはその反対です。アメリカ人犠牲者の家族の
怒りの声や、サウジ当局の捜査への協力が十分でないというFBI筋の不満の声など
を流して、「サウジが非協力的だからテロが防止できず、犯人の捜査もままならない」
というムード、つまり「サウジ王室が悪い」という雰囲気を煽っているだけです。

サウジに対するアメリカの政治家たちの発言の中には、そんなサウジ王室は放棄して
も良いというようなムードも出たり入ったりしていますが、イラクの戦後処理におい
て見られるように、政権を消滅させさえすれば、それが「地域の安定化」に対して一
歩前進だ、などというのと同じ無責任さを感じます。

テロリストの脅しに対しては、あくまで警察活動として対抗すべきでしょう。サウジ
の国内問題はあくまでサウジの問題です。貧富の格差や、王族の腐敗などの問題はあっ
ても、他国が口出しをしてうまく行くはずがありません。

北朝鮮の場合は、問題が異なります。まず、分断国家という事情があります。金正日
政権が崩壊した場合、常識的には韓国による吸収合併ということになるのでしょう。
そこがイラクとは問題が全く違います。新政権の受け皿はあるのです。統一という受
け皿です。

「統一」については、経済的事情などの現実的な観点から「今は無理だ」というのが
保守、それに対して「ドイツで可能なことが、自分達に不可能なはずはない。分断で
得をする勢力に半島全体が利用されているのだ」というのが野党的ということで、学
生運動をはじめ深刻な対立を経てきたのが現在の韓国です。言うまでもなく、現在の
廬武鉉政権というのは後者の支持でできた政権です。

今回の廬大統領訪米については、とりあえず両国の政権同士の信頼関係が強化された
ようですが、現在の北朝鮮における飢餓やエネルギー不足の問題をどう解決するのか
について、突っ込んだ話し合いがされた形跡はありません。まして中長期的な課題で
ある「統一」という問題に関しては方針も何も出てはきていません。

勿論、現在の政権があるのだから「統一」などと言い出しては怒らせるに決まってい
ます。ですが、気をつけておかなくてはいけないのは、アメリカと中国という「特別
利害当事者」は統一を望んでいないと思われる点です。

朝鮮半島で分断と緊張が続くことで、アメリカはアジアでの軍事プレゼンスを維持で
きます。中国も、かつて建国間もない国力の乏しい時期に、頼まれて人民解放軍を援
軍に出して守った国を、みすみす「南」に吸収合併させるのでは、名誉の問題が出て
きます。それよりも何よりも、朝鮮戦争の激戦を戦った両国に取っては、「北」とい
う緩衝地帯が消滅して、両陣営が直接国境を接するのは避けたいはずです。

そうなると「生かさぬよう、殺さぬよう」封じ込める、正に「冷戦」状態を維持しよ
うということになります。その「冷戦」に変化が起きるとしたら、それは何でしょう。
一年半後にはアメリカの大統領選挙があります。ブッシュ大統領が再選されたら北朝
鮮への軍事行動があるに違いない、そんな予測もあるようです。

では、大統領選挙では朝鮮半島が争点になるのでしょうか。サウジとの同盟関係が争
点になるのでしょうか。私は、そうした外交方針が大統領選挙の主要な争点になるこ
とはないと思います。反テロ戦争を理由とした、治安維持や、その費用負担の問題は
争点になる可能性はあります。ですが、外交政策そのものは争点にはなりにくいので
す。

大統領選挙のゆくえは、これからの一年半のアメリカ社会がどうなるのかにかかって
います。軸になるのは経済です。景気が回復すれば現職有利、逆にいつまでも景気が
低迷するようですと、政権交代の可能性が出てきます。では、戦争は一旦止めて景気
のテコ入れに専念して見事再選を果たし、選挙の洗礼を受けて権力を強化したところ
で今度は北朝鮮との戦争に乗り出す、そんなシナリオが濃厚なのでしょうか。

私は、そんなに物事は単純ではないと思います。まず、景気ですが簡単に回復すると
は思えないのです。今回のアメリカ経済の低迷は、90年代の日本の低迷に似ていま
す。ある頂点を極めた、その先の社会が描けないどうしようもない不安感、それが企
業の設備投資を躊躇させ、個人の消費を冷え込ませている、この点は全く同じだから
です。

90年代のアメリカが成功したのは、ITとバイオなどのハイテク産業のように見え
ます。ですが、本当はこうした新産業は投資ばかりで利益はあまり生んでいなかった
のです。特にキャッシュフローで見ると、財務的には新しい資金は集めていても、本
業の生み出す利益は微々たるものでした。

そんなアメリカが好景気を謳歌できたのは、金融と小売のおかげです。ハイテク産業
を中心としたアメリカの未来への期待感は、世界中からの資金を集めたのです。そし
て、そのお金の一部は「世界の工場である中国」をはじめとする大量生産地に流れて
ゆきました。そうは言っても、経常収支については貿易赤字であったにも関わらず、
金融面の資金の流れも加味したキャッシュフローでは立派に成り立っていたのです。

小売業は、そうした輸入品中心で成り立つビジネスという性格を一層強めましたが、
余りに強い購買意欲のために、小売自体としても雇用も利益も生み出す巨大な産業と
なって行ったのです。重要なのは、その全てが「世界が平和であること」が前提とい
う産業だということです。生産地と消費地、投資元と投資先の間で、実際のヒト・モ
ノ・カネの流れがよどみなく、いや怒濤のように行き来し、そのコストも極小なら、
様々な規制も緩やか、そんな世界の状態が前提となる産業ばかり、それが90年代の
好況の背景にはありました。

今回の不況は、きっかけは日本と同じバブルの崩壊でした。特にIT関連の株を中心
に株価の崩壊は激しいものがありました。高い株価のほとんどは気の遠くなるような
将来の事業発展を織り込んでいて非現実的だ、足元では急速な技術革新のデフレ効果
が忍び寄っている、そんな悲観論から多くの株が売り込まれ、また多くの企業が破綻
に追い込まれてゆきました。

バブルの崩壊は消費意欲の減退を招き、それが一通り自然反転に近付いたと思われた
頃に911が起きました。911とその報復であるアフガン戦争で、今度は「グロー
バル経済」の前提となっていた「平和な世界」が崩壊したのです。更にイラク情勢の
緊迫化と実際のイラク戦争という過程で「平和な世界」は一層遠のきました。北朝鮮
の核問題にSARSと、中国を中心に繁栄を続けるアジアにも翳りが生じています。

ブッシュ政権になって軍需産業や石油産業が儲かったと言われます。実際にそうだと
思います。ですが、この二つの産業を合わせても、規模はたかが知れています。IT
や金融や小売を合わせた経済の規模は埋めきれないのです。特に軍需産業は、完全に
官需です。しかも税収を財源とした消費であって、それ自体が新たな経済活動を生む
わけではないのです。

「平和な世界」への見通しがつかないことが漠然とした不安感になって、必要以上に
景気が冷え込んでいるのが現在のアメリカ経済だとすれば、政権の性格を根本的に変
えない限りは景気の上昇はあり得ないと見るべきでしょう。

では、民主党が有利なのでしょうか。ブッシュ再選は難しくなっているのでしょうか。
これもそう簡単ではありません。景気ということを考えれば、政権を変えてクリント
ン=ゴア流のグローバリズムに戻るのが良いに決まっています。ですが、それでも共
和党に目があるとしたら、経済では計れないような不安感とか、危機感に訴えると言
う手法です。

ブッシュ政権は、一旦はブッシュ(父)政権の失敗に学んで、真剣に景気回復を目指
すでしょう。ですが、自分達の手法では景気回復は難しいと悟った途端に、2002
年の中間選挙のように戦争をチラつかせて政敵を封じ込め、投票した人の支持を取り
付ける、そんな手に出てこないとも限りません。

日本に関して言えば、悪事を強制されて南シナ海を漂った工作船の無惨な残骸を晒し
たり、拉致問題への情緒的な対応をして反北朝鮮感情を煽り、その勢いで言論統制の
明文化を含む有事立法を通す、そんな動きになっているようです。ですが、ここにも
同じ問題があります。

紛争の感情的レベルを上げて、ブッシュ政権を喜ばせるのは戦争の危険が増すから愚
かなだけではありません。平和と繁栄を壊すものなのです。個人消費者向けの高付加
価値商品を大量普及させる、そんな日本や韓国の経済も「世界の平和」あってのこと
です。

液晶画面やプラズマ画面は統制された戦争報道を見せられる時代には全く売れないで
しょうし、人々が不幸であればデジカメも携帯も売れません。情報の流通に制限がか
かれば、ネット関連ビジネスも駄目になるでしょう。逆に平和と安定が実現していれ
ば、貧困にあえぐ北朝鮮を救う、あるいは民生を落ち着かせながら吸収合併すること
も可能になるはずです。

平和は「戦争のない状態」ではありません。平和は創造と繁栄の大前提です。繁栄あっ
てこそ、平和が保たれ、紛争は解決へと向かいます。逆に戦争は破壊です。破壊自体
の中からは、繁栄も生まれなければ民生の向上もありません。

平和ボケという言葉がありますが「危機への備えを怠るな」という意味だけではなく、
そこには「たるんだ平和より緊張した有事のほうが気分が高揚して愉快だ」という気
分も入っているようです。そうであるならば、全くの誤りです。平和は「たるみ」で
も何でもありません。努力と工夫を続けて勝ち取るものです。そうして繁栄があって
こそ、紛争は抑止され、解決されるのです。

先進産業社会の繁栄は、貧富の格差を生み世界を不安定にする、それは一面の事実で
しょう。ですが、一旦味わった繁栄が失われる恐怖に襲われて好戦的になり、他国を
巻き込みながら世界をメチャクチャにするのを許すよりは、繁栄の中に平和を探すほ
うが現実的だと思うのです。

そう考えると、『Xメン2』や『マトリックス・リローデッド』に人々が集まるのは
悪いことではないのかもしれません。前者にはイラクやサウジの騒動よりはましな
「純粋な子供にも納得できる」勧善懲悪の思想が入っているようですし、後者には東
洋哲学や世界観の広がりがあるからです。

戦争が続く中で人々が好戦的になったからアクション映画に人が集まるのではないよ
うです。明らかに平和な日々を、そして新鮮で納得できるストーリーを人々は求めて
います。


冷泉彰彦:
著書に
『9・11(セプテンバー・イレブンス)―あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093860920/jmm05-22

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