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その列車の中にはほとんど客が乗っていなかった。各駅停車なので駅に止まるたび、
何人かの客が降りてはまた、何人かの客が乗ってくる。どの駅でも15分かそこらは大抵
停まっているので、私はその間に鄙びた感じの無人駅に降り立って煙草を吸ったり、
駅売りから弁当を買ったりして、久しぶりのゆっくりした時間を過ごしていたのだった。

少しの間私はうたた寝していたようだった。
ふと気が付くと、通路に人が立っていて、私に「ご一緒しても構いませんか?」と
訊いている。私は体を慌てて起こし、席を窓側に詰め、モゴモゴと口の中で
どうぞどうぞと席を薦めるのだった。旧式の列車の事、固い垂直の背もたれと狭い座席が
向かい合わせになっている。私の斜め前にその男性は座った。

お互いに軽い会釈を交わすと、後は何となく気まずい空気が流れた。
私はぼんやりと木枠の窓の外を見ながらも、時々ちらりちらりとその男性の事を盗み見た。
彫りこんだように皺の刻まれた顔の、深く落ち込んだ眼窩の為に表情はよく判らないが、
大変年を取っているらしいその男性は、やはり大層古びてみえる綾織のコートを身に纏い、
静かに、ひっそりとした存在感でそこに座っているのだった。

ところで、私がその老人が私の傍についと立った時から気になっていたのは、革の小型の
旅行鞄以外に
その老人が畳半畳ほどもあるような大きく扁平な風呂敷包みを 携帯していた
ことだった。
窓の上の網棚にも載らないような大きなその包みを、老人は自分の前から通路にかけて斜めに
立てかけて、自分はとても窮屈そうに膝を曲げて 座席に腰掛けているのだった。

ほかに空いている席はいくらでもあるというのに、なぜこんなにまでして私と同席したいと
申し出たのか、私には予想することもできなかったが、ふと気がつくとその老人がとても親しみを
込めた視線を送ってきていることに私は気がついた。



「長い間、もう何年もの間、私はこの包みと一緒に旅をして来たのです。長い歳月です。
私はずっと一人で旅をしてきました・・・。どなたかに話をしたいと思ったのは、これが初めての 事です。
多分もう、旅の終わりに近づいているのでしょう・・・」

私が彼の視線に気がついたことを悟ると、老人は静かな声で語り始めた。
「貴方はこの話を聞いてくださいますか?」
老人の顔にはなんとも穏やかな笑顔が浮かんでいた。
私はその老人の言葉に不思議な魅力を感じてこくりと頷いた。



    


窓の外を海に面してゆるやかに続く甍の波が過ぎていった。海面は日の光を浴びて 光り輝いていた。

「私は××という城下町に妻と幼い娘と共に暮らしておりました。家は古くから続く商家で、 大層
栄えておりました。
××は昔から文化的で進取の気性に富んだ町で、富裕な人々から下々にいたるまで
何やらちょいと捻ったような、漢文だの短歌や物語集からの引用句が口からするすると出てくるのが
当り前であるような、そんな土地でした。
それは江戸期から私が住んでいた頃まで・・・いや今でも変わることはないと 風の便りに聞いております」


そこで老人は一言置いた。

「私は家が富裕だったものですから、好きなだけ、と言う訳にはまいりませんが、自分の趣味とする
ところに金子を使う余裕がかなりありました。

旦那衆といえば、普通は色事に使うものなのでしょうが、私の趣味は骨董の蒐集でした。
町が町ですから、大名家由来の品や、南蛮渡来の貴重で珍しいものが色々出てくるのです。
私はなぜか古陶や茶道具など、普通の骨董にはあまり興味がありませんでした。
俗悪なもの、異様なもの、珍奇なもの・・・そういったの物たちに強く惹かれたのです。
もちろんそれは家族に易々と受け入れられる物ではありませんでしたから、 私は離れを作らせ、
そこに私の為だけの展示室を作りました」


「その頃出入りの骨董屋が何軒かあって、いかにも私が喜びそうな物を見つけては、顔を輝かせて
得意げにやってくるのです。
いつも気にいる物が必ずしもあるとは限らず、容易に首肯する事は ありませんでしたが、吝嗇では
ありませでしたので、彼らは率先して良いものを持ってきてくれました」

老人はふと遠いところを見るような表情になった。


「唐子が糸車に座って糸を紡ぐからくり人形。元々は若い娘の人形が座っていたはずなのに
それを誰かが取って、代わりにちりめん細工の唐子を乗せたのです。
見ていると唐子がからからと糸車をまわすにつれて、糸がどんどん紡がれていきます。
ちりめんで出来た唐子の美しい彩りの衣装と共に、くるくると回る何色もの色と仕掛けの動きが
とてもきれいなものでした。

或いは夜光杯のかけらを目に嵌め込んだ、香木でできた龍の細工。それに遠いアフリカ大陸の
鬼面を模した象牙の根付は大変精巧でやはり色味豊かなものでした。
酒を注ぐと涙を流す女の顔が、赤絵で描かれた牡丹の花の間に浮かび上がる絵付けの杯も、
他に持っておりました応挙のお軸と合わせて床の間に飾りますと、異様な迫力を醸し出して、
怪談などを打ち明けあいながら盛り上がる徹夜の酒宴の時などには、一段と味を添えたものです」


「なんと言っても私の一番のお気に入りは、雪舟等揚の「冬図」の鏡面図でした。
おわかりになりますでしょうか?全く左右逆に描かれた精確な模写なのです。
なんとまぁ不思議な事に、雪舟の水墨画で生かされている空間の妙は、鏡面図にすると
微妙に変化し、その空間に吸い込まれてしまうようなうっすらとした恐怖を 呼び起こすのです。
それはそれで高度に完成された芸術作品に間違いはないと私は思い大切にしていました。

どれをとっても普通なら薄気味悪いと嫌がられるような、奇っ怪で珍奇な品ばかりでした」


私は黙って、心底魅入られたように老人の話を聞いていた。

「ある日の事でした・・・。その日ある贔屓の骨董屋が私の所にやって参りました。
何やら重苦しい空気がたちこめ、嫌な雰囲気でした。私は骨董屋の苦渋に満ちた顔を見ると
たちまち胸に栓が詰まるような気がしました。どんな嫌な知らせを聞かされるのだろうか?
私は骨董屋に少し掠れた声で問いかけました。
「今日はいかがなされました?」

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