ガザのラファで、家屋破壊を阻止しようとして
イスラエル軍のブルドーザーで殺された
レイチェル・コーリーさんの手紙の日本語訳を
以下にお送りします。

イラクへの米国の攻撃が始まろうとするいま、
改めて、私たちの出来ることは何なのか?
ご一緒に考えましょう。

★☆レイチェル・コリーさんの両親より★☆

 私たちは今悲しみのうちにあり、 またいまだにガザ地区でのレイチェルの死の背
景に何があったのかを見つけ出そうとしています。

 私たちは、子どもたちに国際コミュニティと家族の美しさを尊ぶように育て上げま
した。そして、レイチェルが彼女の信念に従って生きていることに誇りを持っていまし
た。レイチェルは愛と、たとえどこに住んでいようとも、その仲間たちへの義務感に
満ちていました。そして、彼女は自分の人生を自分を守ることができない人たちを守
ることに捧げました。

レイチェルはガザ地区から私たちに手紙をくれました。今、私たちは彼女の経験を彼
女自身の言葉でメディアに発表したいと思います。

感謝をこめて            クレイグ及びシンディー・コリー

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☆★レイチェル・コリーさんから家族に宛てた電子メイル(抄録)★☆  

2003年2月7日

 私がパレスチナに来てから2週間と1時間になります。
今でもここで見たことをどういう言葉にしたら良いか分かりません。
私にとって、アメリカに手紙を出そうと椅子に座っている時は
快適な生活の入り口にいるようなものですから、ここで何が
起きているのかを考えるのは最も難しいことです。
私には、ラファにいる多くの子どもたちが、壁に戦車砲であけられた穴がない家に住
んだり、
間近に占領軍が見下ろしている監視塔が無いような場所で生活したことがあるのか
どうかわかりません。でも確信しているわけではありませんが、ここに住むほんの小
さな子どもでさえ、
どこもここと同じような生活をしているわけではない、ということを知っている
のではないでしょうか。

 私がここに来る2日前にイスラエルの戦車が8歳の子どもを撃ち殺しました。多くの
子どもたちが私に殺された子どもの名前をささやきます。「アリっていうんだよ」っ
と。または壁に貼ってあるその子のポスターを指差します。
 子どもたちは、私に次のような質問をして、私のおぼつかないアラビア語を試して
喜んでいます。「カイフ・シャロン?」「カイフ・ブッシュ?」(シャロンをどう思
う?、ブッシュをどう思う?)私がこう答えると子どもたちは笑います。「ブッシュ
・マジュヌーン」「シャロン・マジュヌーン」(ブッシュはクレージだ。シャロンは
クレージーだ。)もちろん、私が全くこの通り考えているわけではありませんが。英
語のできる大人が訂正してくれます。「ブッシュ・ミシュ・マジュヌーン。(ブッ
シュはクレージーなのではない。)ブッシュはビジネスマンなのだ。」今日、私は
「ブッシュは道具です」という言い方を習おうとしました。しかし、それが正しく翻
訳されたとは思いません。しかし、いずれにせよ、少なくともイスラエルに関する
点については、ここの8歳の子どもたちはほんの数年前の私よりもはるかに、
世界の力の構造がどのように動いているのかを理解しています。

 ただ読んだり、会議に参加したり、文書をあさったり、言葉を聞くだけでは、ここ
の現実と向き合うには十分ではありませんでした。この現場を見ること無しには、事
実は想像すらできないでしょう。そしてもしここにきてこの現場を見たとしても、
(パレスチナ人ではない)あなたが経験することは、現実の全てではないということ
に気づかされるだけです。
 もし、イスラエル軍が非武装のアメリカ市民を撃ったらどんなにやっかいなことに
なるか考えてみてください。それから、イスラエル軍が井戸が壊しても、私には水を
買うお金があるというこもを。そして、もちろん私にはここを去るというオプション
もあるということも。
 私の家族は、運転中に町の大通りの脇にある監視塔からロケット・ランチャーで撃
たれることもありません。私には住む家があり、海を見に行くことも許されていま
す。私が裁判なしに何ヶ月も何年も拘留され続けるということは(それは私が白人の
アメリカ市民だからですが、)ありそうもないことです。例えば私は、私の故郷のオ
リンピアの中心街とマッドベイ地区の間に検問所があって、私が学校に行ったり仕事
に行ったり、または家に帰ったりすることを決める権限を持った完全武装の兵士に出
くわすことはない、とわかっています。だから、ラファにちょっとやってきただけの
私が、ここの子どもたちが存在する世界について怒りを感じるならば、逆にここの子
どもたちが私たちの世界にやって来たらどう感じるのか考えてしまいます。
ここの子どもたちは、アメリカの子どもには、両親が撃たれることは普通ないし、海
を見
に行くことができることも知っています。(ラファ市の海岸はユダヤ人入植地になっ
ていて、市民が近づくことができない)
でももし、水もたっぷりあって、海も自由に見に行けるようなそして夜の間にブル
ドーザーによって生活が奪われることがないような静かな場所に一度でも住むような
経験をしたのなら、また自分の家の壁が内側に崩れてきて目を覚まされないかを心配

ることなく夜を過ごせるような生活を一度でも経験したら、また家族を奪われたこと
のないような人々に出会うような経験をしたとしたら、殺人的な監視塔やら戦車やら
武装した入植地やら、そして巨大な金属壁やらに取り囲まれていないような世界を一
度でも経験したのなら、子どもたちがこんな世界を赦せるのかわかりません。また世
界第4の軍事力を持つ国(その国というのは世界唯一の超大国に支援されているので
すが)から、常に未来を阻まれていることに対する抵抗の中に子ども時代が全て存在
する(そう、ただ存在しているだけなのです)ような世界を許せるのかどうかわかり
ません。
それが、私がここの子どもたちについて心配していることです。彼らが、本当のこと
を知ったら何が起きるのか私にはわかりません。
 いろんなことを考えて、私は今ラファにいます。ラファには14万人の市民の約6割
が難民で、その多くは、2度も3度も難民になっています。ラファは1948年以前から存
在していました。しかし今ここにいる多くの人たちは、現在イスラエルになっている
歴史上のパレスチナにあった故郷から追われてきた人とその子孫です。ラファはシナ
イ半島がエジプトに返還された時に真っ二つに分割されました。現在、イスラエル軍
は14メートルの高さの壁をラファの境界線に建設中しています。そして「壁」の建設
のために国境沿いに建っている家を削り取って無人地帯を作っています。ラファの難
民委員会によると602軒の家が完全に取り壊されました。部分的に破壊された家は
もっと多数に上ります。

今日、私はかつて家だった瓦礫の上に登りました。エジプト兵が境界の反対側から
「行って、行って」と私に叫んできました。戦車が来ていたのです。手を振り合い、
名前を尋ねあいました。私は程度の差こそあれ、私たちは「他の子どもたち」に好奇
心を持つ「子どもたち」の様なものだと思います。エジプトの「子どもたち」は戦車
の進路をうろついている変わった女に向かって叫び、パレスチナの「子どもたち」は
何が起こっているのかを見ようと壁を乗り越えたところを戦車に撃たれます。国際活
動家の「子どもたち」は戦車の前に横断幕を掲げて立っています。戦車の中の名前も
知らないイスラエルの「子どもたち」は、時には叫び時には手を振ります。彼らの中
には、ここに連れて来られただけの「子どもたち」もたくさんいれば、ただ攻撃的で
私たちが出入りした家々に向けて発砲する「子どもたち」もたくさんいます。

国境沿いおよび海岸沿いの入植地とラファの西部地域の間には、恒常的に戦車が駐留
しています。その上、通りの終りから地平線に沿って、数え切れないほど多くのイス
ラエル軍の監視塔があります。そのいくつかはただ軍隊式の緑色の金属でできていま
す。他はその役割を隠すように網で覆われた奇妙な螺旋階段がついています。ビルの
陰に隠れている監視塔もあります。ついこのあいだ、私たちが洗濯をして横断幕を掲
げて町を二回横切っている間に、新しい監視塔が建ちました。
 国境に一番近い地区の一部に住んでいる家族は、少なくとも一世紀はラファに住み
続けています。その事実にも関わらず、オスロ合意によってパレスチナ自治政府下に
置かれたのは、町の中心にある 1948年難民(イスラエル建国の際の難民)のキャン
プだけです。しかも私の言える限りでは、この地域で監視塔の視野に入っていない場
所など、ほとんどありません。確かなことはアパッチヘリや、毎回何時間も上空を飛
び回って低い音だけを響かせている目に見えない無人偵察機のカメラから、逃れられ
る場所などないということです。

ラファで外の世界のニュースを得るのは難しいのですが、イラクの戦争の拡大は避け
られないと聞いています。ここでは、「ガザの再占領」が大きな懸念になっていま
す。ガザは毎日、多かれ少なかれ再占領されています。しかしその「恐れ」というの
は、戦車がいくつかの通りに侵入して、数時間もしくは数日、発砲したり監視したり
して撤退するという類ではなく、残された全ての通りに戦車が入り込むことです。
もしも人々がまだこの戦争がこの地域全体の人々にどれだけ重大か考えていないとし
たら、すぐに考え始めるように願っています。

私は皆さんがここにやって来ることを願っています。ここでの活動に参加している人
数は5、6人くらいです。何らかの形で私たちにプレゼンスを示してほしいと依頼し
てきた地区は、イブナ、テル・エル・スルタン、ヒ・サラーム、ブラジル、ブロック
J、ゾロブ、そしてブロックOです。さらに、イスラエル軍がラファの二つの大きな
井戸を破壊したので、町はずれにある井戸を守るため終夜のプレゼンスが必要です。
市の水道局によると、先週破壊された井戸はラファの水の半分を供給していたそうで
す。多くのコミュニティが国際活動家に、これ以上の家屋破壊を防ぐために夜間の駐
在を依頼しています。夜の10時頃になると、イスラエル軍が道を行く人は全てレジ
スタンスと見なして発砲するので、移動するのが難しいのです。本当にこの人数だけ
では少なすぎます。

私は、私の故郷のオリンピアがラファと姉妹都市の関係を結ぶことで、多くを得、ま
た多くを与えることができると信じています。何人かの先生達や子どもたちのグルー
プはe-メールの交換に興味を持っています。
もちろんこれは、やらなければならない「連帯運動」の氷山の一角に過ぎません。多
くの人が、彼らの声に耳を傾けてほしいと願っています。そして、私たちが外国人で
あるという特権を利用して、私自身のような好意を持った外国人のフィルターを通す
のではなく、彼らの声を直接アメリカに聞かせる必要があると思います。
 私は学び始めたばかりです。私はその学んだことから、あらゆる不平等に対して組
織的に活動している人々の力や、あらゆる不平等に抵抗している人々の力に対し、強
い支援ができるようになりたいと思います。

アメリカの友人たちから届けられたニュースに感謝します。私はワシントン州シェル
トンで平和グループを組織した友人たちからの報告を読みました。その友人は1月18
日のワシントンDCでの大きな抗議集会に参加したそうです。ラファの人たちはメ
ディアを見ていて、今日も私にアメリカでの大きな抗議集会と、イギリスの「政府の
中の問題点」について話してくれました。おかげで、「アメリカの人がみんな政府の
政策を支持しているわけではない」と、私がおずおずと話す時に全くの嘘つきではな
い、と感じられました。またどのように抵抗するかの世界中の例を学ぶことができた
ことに感謝します。

私の愛を全ての人に。
私のママに。
私を育ててくれたコミュニティに。
そしてオリンピアに。

レイチェル

イスラエルの平和団体が紹介した原文は以下のサイトで見ることが出来ます。

http://www.gush-shalom.org/english/index.html

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パレスチナ子どものキャンペーンのホームページは
http://plaza17.mbn.or.jp./~CCP/

現地の最新情報が日本語で見られます。

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