プチ牟尼様

今日もわしはそそくさと風呂に入って出た後、居間を通ってわしの部屋に
向かいながら、孫娘がテレビをぼんやりと見ているのを見て、ついうっかり
「そんなもんばっかり見とらんと、しっかり勉強せえや。じいじみたいに
なるぞ」と説教臭いことを言って嫌な顔をされてしまった。


ついでに息子や嫁さんも嫌な顔をしている。だけどな、わしはつい可愛い
から言ってしまうんや。憎くて言うてるわけやない。なんしか目に入れても
痛くない、っちゅうくらい、かわいがって育てたわしのたった一人の孫娘や、
つい口出ししてしもてもがたがた言うなや。

この孫も美哉乃っていうんじゃが、昔はようなついててな、じいじじいじ
っちゅうてな、わしといっつも一緒やったんやで。今じゃあ年頃になってな、
口もきいてくれへんけどな。
ついでに嫁さんが去年、リストラで勤め先を首になってからは段々わしの
居場所ものうなってきてな。せやけど、わしももう行く先短いさかい、
気にせんようにしとるわ。どうせ世の中こんなもんや。

わしはな、戦前のまだ若い時分はな、文学青年やったんやで。
勉強もようしたもんや。
せやけどな、時代が悪かったんやなあ、戦争が始まってしもてな、
兵隊に取られて、なまっちょろい臆病者やったからなあ、よう軍曹に
いじめられてな、いっつも集中的にしごかれてた。その代わりほかのもんが
ええ目をしたわけや。なんしかわしは銃弾の音なんぞ聞いただけで小便を
チビってしまうような小心者でなあ、そらもう格好の標的や、バシバシ頭を
どつかれてなあ、それで今みたいに阿呆になったんと
違うやろか。

戦争が終わって帰ってきて、就職はしたけれど、全然うだつが上がらんと、
嫁さんに苦労ばっかり掛けて、三流会社で平社員のまま終わったんやけど、
やっぱりあの時のしごきが原因で、阿呆になってしもたんやと思う。
…ほんまに悪夢みたいな日々やったわ。

せやけどまあ、息子はわしとは違って大成してな、立派な会社に入って、
ええ嫁さんもらって、立派な家を建てて…わしまで同居して何不自由ない
生活をさせてもらえて、えらい出世したもんや。

これまであんまりええ事なんかなかったわしの人生やけど、孫娘の誕生から
9才ぐらいまではほんまに至福の時やったなあ。こんな幸せなことはないって
言うくらい幸せで、今まで苦労してきたことなんか全部吹っ飛んで、帳消しに
なるくらい幸せで、掌中の玉みたいに可愛がったもんや。
親二人が働いてたさかい、わしが面倒見る事も多かったからなあ、ほんまに
可愛かったんや。

今はもう、憎らしうなってしまったけど、それは別にかまへん、昔のことを
思い出して、それでわしは幸せな気分なれるんやから。
ただなあ、今の家の中の、ちょっと冷たいバラバラみたいな雰囲気には
参るけど。昔の家族みたいな、そんな空気はないなあ、
今時の家族ってこんなもんなんやろかなあ?ほかの家のことをしらへんから、
よけいな口出しは何もせえへんけど。これ以上居心地が悪くなるのは
いややしな。


何の不自由もないけれど、何も必要とされてないような、何となく所在が
ないわしの人生が一変するような出来事があったんは、そんなある晩の
事じゃった。
その夜もまたわしは風呂をでて(烏の行水じゃ)自分の部屋に向かっている最中、
孫の美哉乃がいつものように歌番組を見ているのを見かけた。テレビ画面には
ぞっとするようなおなごたちが腰をくねらせ、しなを作り色気を振りまいている。

それはそれはひどく淫らやったわ。
「このおなごら、まだ10代なんじゃろ?」わしは美哉乃に聞いた。
「うん、そう。」無愛想に美哉乃はこたえた。
「なんちゅうひどい格好や。昔はな、売春婦でもこんなはしたない格好は
大勢の人前では絶対せんかったもんや。大勢でダンスを踊ってるのか
しらんけれど、まだ若いのに、一番ええ頃やのに、こんな男にこびを売るような
ひどい格好はしたらあかん。美哉乃、絶対にまねするなよ」

美哉乃は怒ったような顔をしてプイっとあっちを向いてしまった。
こんなのが売れっ子になっていて、10代の子供たちがまねしているのかと
思うとぞっとする。でも美哉乃にはよけいなお世話やったらしい。
だがわしはうるさがられようと、言わずにはおれなかった。
もちろん聞き入れられはせんかったが。
わしは画面から目を背けて居間から立ち去ろうとしたその時やった、歌番組の
司会者が次に歌うグループを紹介しているのが耳に入った。
その瞬間である、わしは雷に打たれたような衝撃を受けたのだ。

「プチ牟尼様」わしには確かにそう聞こえたのだった。それはわしにとっては
「天啓」やった。

わしはもう一度テレビの方に向き返った。美哉乃がじろっとわしの方を見た。


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この頃爺ちゃんは変だ。どう変かっていうとうまく言えないんだけど、
年取って気難しくなった、とか具合が悪くて暗い、とかそういうんじゃなくて、
なんか得体が知れない、とか不気味、とかそんな感じ。

この前あたしがテレビを見てたときに、その番組を映している画面を見て、
しゃがれ声でいきなり「ええ?!」なんて叫んで、本当にびっくりしたみたいに
顔色がさっと変わってたんだけど、テレビの方を何回も何回もみて、ブツブツ
独り言を言ったりして、すごく怖かった。それからなんだよね、爺ちゃんが
変になったのって、たぶん。

それまでもやっぱり気難しかったりしたけど、それからバタバタと活動的に
なって、忙しそうに出たり入ったり、部屋でごそごそ作ったり、しかも一人で
ブツブツ独り言なんか言いながらで、はっきり言って訳が分からない。
そんな爺ちゃんは見たことない。
なんかこそこそ隠してるみたいだし・・・。朝早くからバタバタしてて
ちょっとうるさいからお父さんが文句を言ったって聞きやしない。

それでこの前爺ちゃんがちょっと家を出たすきに、ちょっと後ろめたかったけど、
爺ちゃんの部屋をのぞきに行ったら(だって、何を作ってるんだか
見たかったんだもの)、すっごく変なものが部屋にあったの!・・・ちょっと
めまいがしたわよ。

部屋にあったのはね、雛祭りの七段飾りみたいな緋毛氈の布が掛けられた
祭壇みたいなのがあって、そのてっぺんにでっかい仏像がでん!ってあって、
お線香とかお花とか、木魚とかいろんなものが(どっから集めてきたんだか?)
その仏像の下の所に並べてあって、もう驚いたのなんの。

部屋の壁には曼陀羅図みたいなのとかいろいろ貼ってあるんだけど、
その中で、一番めだつところに、超でかい、いま若い子に人気のある女の子
3人のアイドル(?)グループのポスターがなぜか貼ってあるの。
何だかすっごく怖い…ってその時思ったんだよね。

爺ちゃんがブツブツ言ってる独り言の中で「プチムニサマプチムニサマ・・・」
とかなんとか言ってるのを耳にしたことがあって、もしかしてこれか?!と
思ったんだけど、何なんだろうねえ、一体。訳がわかんないよ。

昨日は昨日でもう死ぬほど恥ずかしかった。
駅前に、放課後パフェを食べに行こう!ってことになって、行ったときの
事なんだけど、駅の前のよく待ち合わせに使われている時計台のそばにすごい
人だかりがしてるから、野次馬根性出してみんなで見に行ってみたら、
「あれ、あんたんちのお爺ちゃんじゃないの?」なんて言われてさ。
見たら本当に爺ちゃんなの。

爺ちゃんたらね、見たこともないような服装してるの。いつの間にか髪やら
髭やらのばして(付け髭かな?)、黄色い袈裟みたいな、お坊さんが着る
みたいな布地を巻き付けたみたいな服装をしている上に、はだしでさ、
ござみたいなのの上に立って、両手を振り回してがなり立ててるの。
もう、ひええ〜〜って感じ。穴があったら入りたい、ってマジで思ったわよ。

ござの傍にはのぼりが立ってて「仏の心、プチ牟尼様を敬おう。末世に
希望を」ってへったな手書きの字で書いてあるし。チラシも配ってるんだけど、
それも手作りでさ。何十枚だか何百枚ものチラシ、全部手書きしたみたい…。
友達が一人面白がってもらってきたりして。
面白がってとか、冷やかしじゃなきゃ誰も受け取らないわよ、
こんな怪しげな宗教のチラシなんて。

チラシには「お釈迦様のお使い、プチ牟尼様の御心を敬いましょう。
アイドル歌手とは仮の姿です。暖かい優しげなまなざしは観世音菩薩様の
よう。末法の世をお救い下さるために、今こうして降臨されました。
あなたもプチ牟尼様を敬い、心からの笑顔で極楽へ参りましょう」なんて
事が細かい字で延々と書いてある。これを手書きするんだから
恐れ入りましたね、全く。

それにしても友達らにからかわれていろいろ言われて本当に恥ずかしかったよ。
どうしちゃったんだろう、爺ちゃん。なんだかどんよりと落ち込んでしまった。
あたしが小さい頃はこんなんじゃなかったのになぁ。

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もう朝からなんて事。角の角川さんが掃除当番札を持ってきて、私の顔を
意味ありげににたにたといやらしい笑みを浮かべて見ながら、いきなり
こう言った。
「お宅のおじいちゃん…ふふふっ。この頃ちょっとどうかされたんじゃないの?
大した活躍ぶりよ、あなたご存じ?ご存じならあんな事させないわよねえ」
「は?」

「ああ、やっぱり。あのねえ。お宅のおじいちゃんこの頃駅前で面白いこと
やってらっしゃるわよ。今度見てらっしゃいな」
本当に好きになれない嫌なタイプのオバハンである。だけどあまり意味深な顔を
してたので気になって、買い物ついでに駅前に行って来ることにした。
…どうせ暇なんだし。
そう言えば舅はこの頃留守が多い。
しかも真っ黒に日焼けして、少々やせてきた。
一体何をやってるんだろう、駅前で?私は嫌な予感で、心臓が高鳴るのを
感じながら駅前に急いだ。

私鉄の沿線の小さな駅、各停しか停まらない駅前の広場、そこでうちの舅は
すぐに目に付いた。舅はなんと変な山伏みたいな格好をして、ばさばさ頭の
カツラまでかぶり、縄のはちまきまでして、娘の美哉乃が聴くような音楽を
かけながら、踊り狂っていた。
しかも踊りながら念仏まで奇妙な声を張り上げて唱えているのである。
私はその場で凍り付いてしまった。

「ね?すごいでしょ?早く何とかした方がいいわよ。警察なんかが乗り出して
くる前にね!」
ふと気がつくと、角川さんが横で、例のにたにた笑いを浮かべて立っていた。
私は舅に対して、そしてこの角川さんに対して、にわかに強い怒りと嫌悪感が
こみ上げてきて、向こうずねをけ飛ばしてやりたいような衝動に駆られた。
だが私は、うろたえながらあわてて小走りでその場を走り去ることぐらい
しかできなかった。

くそっ。私は心の中で思いっきり舅と角川さんをののしった。
角川さんはこの際関係ないのだけど、あのむかつくようなにたにた笑いを
思い浮かべるだけで、ブチ切れてしまうのだ。
それにしても舅。一体何をやってるの?! 気でも狂ったの?!
私は自分が見た物を信じられなかった。舅は恍惚として、周りの遠巻きに
して見ている冷たい視線にも気づかず、踊り狂っていた。
あれはいったい何なんだろう…。

それにしても、一体私が何をしたっていうの。どうして私がこんなに恥を
かかないといけないの。信じられないわ。今まで仕事をしていたときは
存分に頼りにして、仕事を辞めてからは、これからはちょっとのんびりして
下さいと、ちゃんといたわって、食事も風呂も何もかも、家族と区別もせず、
ちゃんとしてきたわ。私のせいで不幸だなんて、そんなことあり得ないはず。

少々冷たいかもしれないけれど、舅と仲の良い嫁の話なんて今まで聞いたことも
ないし、これぐらい普通のこと。…だのに、なぜ舅はあんな変な宗教まがいの
事をしているの?? 
私の頭の中はぐちゃぐちゃで、不幸のどん底、って言う気分だった。

そもそも不幸の始まりは、半年前勤め先をいきなり首になったことだった。
長年ちゃんと勤めていたのに、あっという間に放り出されたのだ。
事の起こりは支店長に言い寄られて、お断りして(当然よね!)、支店長が
その腹いせに首にしたって事らしいけれど。
なんて事。
自己中心的で子供じみた支店長のせいで私は一気に自分の仕事を失い、
そして次の勤め先も見つからないし家に縛り付けられて、舅と一緒にいる時間が
増え、その結果こういう事態に出くわす羽目になったとは。

そして今度の件。
一体舅が何をやっているのか、舅が帰ってきたら、問いたださなくては。
私は怒り心頭に達したまま、舅の帰りを待った。
夕方遅くすっかり暗くなってから、舅はいつもの普通の格好をして、しかし
大きな旅行鞄を提げて何食わぬ顔で帰ってきた。
私は舅が部屋へ行くのを
追いかけながら言った。

「遅いお帰りですね。どこへ行ってらっしゃったの? 私昼頃お父さんを
お見かけしたんですよ!駅前で」

こう言ったら舅は驚くかと思ったが、別段変わった風もなく、舅は言った。
「そうか」

「そうかって、やめてくださいよ、お父さん。恥ずかしい!気でもふれた
みたいな格好で一体何をやってらっしゃるの?
宗教?何で一体あんな事やってらっしゃるの?」
「恥ずかしいことなんぞわしはやっとらん。わしは正しいことをやって
るんじゃ。世の中の人にこうすればもっと幸せになれる、ってことを知って
もらおうと思って、一生懸命やっとるだけじゃ」
舅はつっけんどんに言った。舅が部屋にはいると、私は入り口に立って、
舅の部屋を見て驚きあきれ、呆然と見た。
「なんですか?これ…」
「お釈迦様とその平和のお使いのプチ牟尼様じゃ」
「は?プチムニ?」
「プチ牟尼様じゃ。お釈迦様がこの末法の世を嘆かれて、プチ牟尼様を
お使わしあそばして、平和で愛に満ち、人と人が仲良しでいられるような
…そんな世の中になるように、そしてそのお釈迦様のお声を代弁しているのが
わしなんじゃ」

舅の目の色が変わっていた。部屋は異様な雰囲気で、その中で舅もなにやら
面妖な気配を漂わせている。
「そうすると、お父さんはどこかの宗教に入信されたんじゃなくて、
始められたんですか?」
「その通りじゃ。あんたもな、そんなに毎日毎日、眉間にしわ寄せて
イライラせず、このプチ牟尼様たちお三人衆のように、優しい明るい笑顔を
浮かべて、人に優しくすると良い。それが末法の世における、社会変革の
正しい方法じゃ」

…誰のせいだと思ってるのよ、このイライラ!あんたと同居している
せいじゃない!!私は怒りが爆発しそうになった。だがその異様な気配に
気後れしてやめてしまった。

「プチ牟尼様ってそれ、美哉乃が好きなアイドルグループじゃないですか。
それが何でまた…。変なことを思いついたものですわね!」
私は思わず笑い出してしまった。
よくよく考えると、単なるアイドルグループをお釈迦様のお使いだなんて
思いこんで、その音楽に合わせて踊り狂いながら念仏を唱えたりして、
やっぱり気が狂っているに違いない。老人ホームに追いやる良い機会かも。
そう考えると私の気持ちは少し浮上した。

「わしは気が狂ってなんぞおらん。ちょっとおかしくなってるのはあんたの
方じゃ。あんたの心は閉ざされて、人に対する恨みで満ちている。
もっと人を許し、信じ、愛しなさい…」
と舅が言うが早いか、部屋は真っ暗になり、部屋の祭壇にでんっと鎮座
ましましている、仏像の後ろからユラユラと紫色の煙のようなものが
立ちのぼり、そのうちに何か人のような形になった。
それはどこかで見たことがあるような、立像だった。
気がつくと、舅の念仏が聞こえてきた。念仏はうねりのように煙と絡み合い、
うねうねと部屋の中に満ちた。
念仏の調子が絶頂に達したときに、私はその立像がなんだったか思い出した。
不動明王だ。
どこかの図鑑で見たことがある。京都だか奈良だかのどこかのお寺にあるのだ。
私の脳裏に一つの言葉が響いた。

「怒りを静めよ怒りを静めよ。人に愛を伝えよ愛を伝えよ・・・」
それは舅の声ではなくて、どこか遠くから響いてくるような声だった。
部屋の中では、舅の念仏とともに、例の派手派手しくて軽薄な音楽が響いている。

「トリックだわ。これは何かの間違いよ。私は被害者なのよ。
怒りに満ちた…なんてひどいわ。私は被害者なのよ、いつもいつも…」
私がそう思ったとたん、不動明王の顔がぐわああああっと大きくなった。
私は驚いて腰を抜かしそうになった。
やめてやめて!!私はそう叫び続けながらほかの音や声を聞こえないように
ひたすらここから解放されるよう祈り続けた。

どれくらい時間が経ったかわからないくらい時間が経って、うずくまり続けて
手足もしびれてきた頃、ふと周りが静まりかえっているのを感じた。
私はやおら体を起こした。
不思議なことに私はいつの間にやらリビングで寝ていたらしい。

「ご飯まだ? おなか空いた」美哉乃の声で私ははっと我に返った。
「おじいちゃんは?」
「え?部屋だよ。なんか騒々しい音を立てて、なんかやってたけど」
私は言葉が出なかった。もしかしたら・・・。
「爺ちゃん最近変だよね」美哉乃がボソっと言った。

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先日わしの部屋で奇跡の体験をしたのに、嫁さんはそれからめちゃくちゃ
機嫌が悪く、ちょっと頭がおかしくなってしまったらしい。昼間から何かを
がつがつ食べながら、家事もちゃんとせず、ゴロゴロしてるようだ。
ぶつぶつ独り言を台所でいっているのをこっそり聞いていたら
「私ほど不幸な人間はいない。不幸のどん底だ。こんなに不幸になったのも、
すべてあの気が違って世の中に生き恥をさらしている馬鹿じじいのせいだ。
早く死んでしまえばいい」みたいなことをずっといっているので、
あんまり恐ろしくて背筋が寒くなってしまった。

わしは気が違ったのではない。お釈迦様のお告げで、ひたすら世の中の
人々の幸福を願って活動しているのであって、自己本位に、悪心から
世の中を惑わそうとしているのではない。それを証拠にわしは人様から
一切合切一銭もいただいていない。すべて無料奉仕だ。
先日奇跡を体験してからは、なんと人様のご病気をお治しすることも
できるようになってきたのだ!!

信じれば通ず。その境地である。

それなのに家の中は崩壊寸前。嫁さんも息子も機嫌が悪い。わしがなにを
したというのだ?

おまえたちも信じてみればいいのに。幸福というものは、他人から
もらうものではなく、自分の気の持ちようであり、信じる心なのだ。
そして不幸というものもすべて人のせいではない。自分の心の至る所である。
そうわしはいうのだが、家の中では誰も聞いてくれない。
困ったものだ。

だが孫娘の美哉乃はすこし違う。家の中のことを心配し、爺ちゃんこのごろ
なんか変だ、といいながらも、ほかの二人のようには毛嫌いはしてない。
それを証拠にこの前こんなことがあった。

わしがプチ牟尼様のコンサート会場の前で、コンサートが始まる前に
布教活動をしていたところ、警備員らに囲まれてまさに袋叩きにされそうに
なったときに、美哉乃が遠巻きにみている集団の中から、なんと助け出しに
きてくれたのだ。

警備員があくまでも仕事を続行しようとしてるのに対して、毅然として
強い口調で、この爺ちゃんはプチ牟尼様(ちゃんとしたグループ名を
言っていたが、わしはプチ牟尼様としかわからん)の大ファンで、だけれども
年のせいでちょっとその表現の仕方が違うだけで、新興宗教のイカレた、
やばい教祖じゃなくて、単なるファンだし、孫の私がいつもちゃんと
ついていて、変なことをしないように見ているから、暴力は振るわないでくれ、
といってくれたおかげでわしは救われたのだ。 美哉乃が話した内容は
少々不本意だったのだけれども。

ただそのときにちょっとした収穫があって、美哉乃がわしをその状況から
救い出してくれた後、つまりドタバタが一段落した後、美哉乃が「私は
爺ちゃんの宗教活動はどうも受け付けないんだけど、見てられなかったから。
気をつけてね、爺ちゃん」といって立ち去った後、そばに6人ぐらいの若い
今時風の男女が近寄ってきて、実は我々は以前からのわしが説くプチ牟尼様の
仏教の信者で、これからはわしを助けていきたいから、ともに活動させて
ほしい、今まではただ聞いているだけだったが、今度からは先ほどの
ような目にあってはまずいから、と申し出てくれたのである。

 このご時世で、ふつうならそこで怪しむのかもしれないが、わしはその
若者たちの目を見て、きっとこの若者たちは真実を申しているに違いないと
確信するに至った。
それでわしは即座にその申し出を受け入れた。誰かを助けることはあっても
孤独に活動してきた、それもお釈迦様の思し召し、と割り切って果敢に
努力してきた今、わしは協力者を得たのである。望外の喜びであった。

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じいさんは僕らの6人のことをプチ牟尼様6人衆などと呼ぶ。
ちょっとしたきっかけからテレビのバラエティー番組やワイドショーなどで
人生相談コーナー(と言っても、奇矯な老人が現れた、と笑いものにされて
いるとしか思えなかったりする場合もあるが)を受け持つようになったり
したこともあって、不思議に信者が増えてきて、じいさん一人では
混乱してしまうこともあって、僕たちがいることでずいぶん助かっているとか、
毎日のように大いに感謝されている。


僕らはじいさんが説教したことを整理してわかりやすく文献にまとめたり、
じいさんのスケジュールを管理したりしている。
時には頭のおかしい凶暴なやつらから守ってやったり、狂信的な信者で
多額の寄付をしなきゃいけないと思っているような人に、うちは金は
受け取らない、ってことを説明したりすることも時々ある。
僕らは全員20代で、男4人、女2人、見ず知らずの者同士だったが、
じいさんが駅前などで説教している時に話を聞きに来ている常連だった
ことから話をぽつぽつとするようになった。

僕らの、たとえば学歴とか趣味とか、そういったハード面では共通点は
ほとんどなかったけど、定職にもつかず、将来のことも、それどころか
毎日をどう過ごすか、そんなことすらわからなくて長すぎるモラトリアム期を
送っている愚かな若者、と言うソフト面では共通点があった。
僕らは負け犬で、気が弱くすぎて何をする元気もない社会不適応者だった。

ただのんべんだらりと毎日を送っているうちに、ふと出会ったのが
じいさんだった。
じいさんの教えと言うべきか、それはとても変わっていたけれども単純で、
直截的にズドンっと心に命中するものがあった。
僕らは心を開いてお互いに親しくなり、そしてじいさんのところに
歩み寄ったのだった。

じいさんは助かる助かると喜んでくれるが、その実救われたのは僕らだった。
僕らはじいさんが金集めを良しとしないので、いろいろかかる経費を
捻出するために働き出したし、協力し合って何かする、という本当は
できて当然のことなのだろうけれども、今まで敬遠しておそらく一度も
ちゃんとした事のないことをやり始めた。
もちろんプチ牟尼教の教え、人を愛すること許すこと、笑顔で人に幸せを
与える事…そういったことも実践している自分を発見して驚くこともあったり、
実に毎日が充実するようになったのだ。

僕らはもっともっとこのプチ牟尼教を発展させ、信者を増やすためには
どうしたら良いか話し合っていた。じいさんはその時いなかった。
従来の新興宗教風ではなくて、斬新な新しい宗教を目指すべき、と誰もが
その場で思った。
金集めに終始しなくても良くて、みんなが平等に救われて、僕らのように
暖かく幸せな気分になれて、この末世を変える力のある宗教。

しばらく黙って考え込んでいた時一人が言った。「ホームページを作ろう。
ヒーリング力のある音楽を開発してBGMに流し、とてもきれいなHPを
作るのだ。
心が洗われるような。そしてじいさんの教えを精一杯盛り込んで、癒しを
求める人たちの掲示板を作る。僕らはちょっとしたアドバイスを与える。
人をひきつけるために、ちょっと重たいけれど動画も使おう」


おおお!!それは良いかもしれない。みんながみんなパソコンを
持っているわけではないけれど、一人でひそやかに癒しを得たい現代人には
良いかもしれない。6人の意見がまとまった。

彼はコンピュータ専門学校の出身だった。それで基本的なところは彼に
作ってもらって、後は意見を出し合いながら作っていくことにした。
じいさんが相変わらず街頭やテレビなどで活動して、幅広い層にプチ牟尼教の
教えを説いている間に僕らは着々とHPの準備を進めていった。
そして3ヶ月ほどたって完成した時、僕らは深い満足を得ていた…これなら
きっと大丈夫だ。僕らは確信した。

そして思ったとおりそれは静かなブームを巻き起こした。あっという間に
数万件のアクセスを得、多くの人に感謝を持って迎え入れらたのだ。
掲示板には日々多くの言葉・・・悩みの言葉であったり感謝の言葉であったり
…が寄せられる。
僕らは(ネット上で)精力的に活動を続けた。そしてHPは改良を重ね
ますます垢抜けてシンプルで透明感のある…デジタル的な宗教を
表現するようになっていった。

僕らのしたことが正しかったか、間違っていたか、それは良くわからない。
ただいえることは、最初じいさんが始めた時のプチ牟尼教とはずいぶん
趣きを変えているだろうという事はよくわかる。だがこうすることで
プチ牟尼教はより多くの人々を救えるようになった。
こんなすばらしい宗教が今まであっただろうか?これほど純粋で、
人に感動を与え、人を変える力のある、しかも電脳的な宗教がいまだかつて
あっただろうか?

僕らはインターネットを通じてそれを成し遂げた。それは不思議な
予期せぬような効果を発揮しながら静かに鈴かにネット上を伝わり
全世界に広がっていることを僕らは願っている。
そしていつかは…世界が良いほうに変わることを、温かい笑顔にあふれた
人々で満ちたユートピアに世界が変わることを僕らは願っている。
僕らはこの頃ふとした時、街角で見かける人で笑顔をたたえた人を良く
見かけるようになった。それは変化の始まりなのかもしれない。
大いに期待する。




 

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