角の家に住む人は

もうずいぶん昔の話だ。僕がまだ18ぐらいで、ようやく進路が決まったある冬の
出来事だ。僕はそのころ周りがまだ大学受験の真っ最中で遊び友達にも事欠き、
一人で過ごすことが多かった。それまで買うだけ買って読まなかった本を
思いっきり読んだり、母の手伝いをしたり、今までしなかった事をいろいろして
楽しんでいた時期だった。


 僕の日課の一つに、飼い犬の散歩というのがあった。
それまでもしていたのだが、今ではのんびりゆっくり犬と一緒に近所を
散策することができた。
よく知っているつもりの住宅街でも、自転車を飛ばして過ぎるのと、
ゆっくり歩いて通り過ぎるのとでは見えてくる物が違う。
僕はいろいろな物を毎日「発見」した。


 たとえば・・・。公園の真ん前にあって、子供の3人いるうち。
大きな自転車と中くらいの自転車と三輪車があって、公園に面した2階の壁に
大きな丸い時計が付いている。前は付いてなかったから子供のために
付けたのだろうか?
「暗くなる前に帰ってくるんだよ」そう言う親の気持ちが表れていたような気がする。
子供は時計を見ながら思う存分遊ぶのだろう。


 それから雑誌のグラビアにでも出てきそうな斬新なデザインの素敵な家。
でも窓はほとんどない。あっても縦に細長いあまり開かないような小さな窓だ。
家の中は暗くないのだろうか? どういう家族がすんでいるのだろうか?


 家は小さいけれど庭が広くて野菜を作っている家。
いつも夫婦が仲良く精を出している。毎日通りすがるうちに、時々間引き菜や
ちっちゃな大根などを分けてくれるようになった。
同じぐらいの子供が遠くにいる、とか。


 2棟ならんだ白いアパート。子供がいっぱいいていつもにぎやかだ。
僕が通ると「ワンワーン!」「ワンワンのおにいちゃああん!」と声を掛けて
犬をなでに来てくれる。

ある日一人の子供が「お兄ちゃんワンワンの名前、なんて言うの?」と
聞いてくれたので僕はこたえた。

「太郎だよ」

 子供はつまらなさそうだった。もっとかっこよくて外国風の名前を
期待してたのかもしれない。でもこの犬はいかにも太郎って顔をしてるんだものな。
お兄ちゃんにとっては太郎、って名前が、この犬にぴったりの超かっこいい
名前だったんだよ。そう言いたかったけど、言わなかった。

 すごく感じの悪い夫婦がやってるあまりはやってない酒屋もあった。
そうかと思えば犬の置物でいっぱいの、犬が大好きなとてもきれいで
白衣がよく似合う、にこやかな薬剤師さんのいる薬屋もあった。
僕が通りかかると必ず笑顔で手を振ってくれる。
僕も大したことがなくてもちょっとした風邪でも、その店で太郎と一緒に
薬を買うようになってしまった。
 
いろんな家があった。いろんな変わった名字の書かれた表札もみかけた。
どの家もその家に住む人の個性が強く出ていて、僕はそれが一番面白かった。
本を読みすぎてぼおおっとした頭には、太郎の散歩は良い気分転換になった。

 僕が気に入っている家があった。ある細い裏道をうねうねと行くと、
そこの細道からまた別の細道にでる角に、とても広い家があって、そこの庭が
あまりきれいなので、花や木のことに詳しくない僕でも思わず見とれてしまうほどで、
いつもそこをおきまりの散歩コースにしていたのだ。

 その庭を丹精している人はきっとこの庭のこと、花や木のことをとてもよく
知っていて、そしてとても愛しているんだろう・・・僕はそう確信するほどに
すばらしい庭だった。もちろんまだ高校三年生の僕のこと、
庭のことや植物のことなど、ほとんど何も知ってなかったのだが、
高3という、精神状態のとりわけたかぶる特殊な時期、僕はなぜだか多感に
なってたらしく、その庭に関してはいろいろな空想を巡らしていた。

 僕は毎日のように犬を連れてその家の横を通るうちに、
その家に住む人と時々会釈を交わすようになった。
今までの僕なら考えられないことだし、大学が始まってから
忙しい生活を送るようになってからも、そんなすてきな(?)習慣は
よみがえりもしなかったのだが、その無為で精神の休息期とでもいえるような、
ぽっかりと空いた僕のその冬は、少し大人びて、物静かで謙虚で
不思議な時期だったのだ。そして寒い季節だというのに、
その冬中僕はあまり寒さを感じず、平穏で暖かな気持ちを保つことができた。

 その家に住む人というのは一人暮らしの老婦人で、とても品が良くて、
少しなぞめいた感じの人だった。服装などがとても変わっていたのだ。

 僕は自分から会釈したり挨拶することで、その人と知り合うきっかけを
作ったような記憶がある。庭を見たい、中から見てみたい、と言う誘惑に
勝てなかったのかもしれない。それにその変わった服装や、優しい微笑を
見ているうちに、その人と話をしてどんな人なのか知ってみたい、
そう言う気持ちもあったのだが。


 そんなこんなである日、「庭がそんなにお好きなら見てみます?」と
まだ若い僕に丁寧な口調で話しかけてもらったときには、僕はすっかり
有頂天になってしまった。





 「あなたの犬も連れて入って大丈夫ですよ。どうぞいらっしゃいな」
の人はそう言って、門扉を開けてくれた。

「人と話をするのは久しぶり。お若い方がかわいらしい犬を連れてきてくれて、
庭も喜んでいるわ。余り来客もないのよ。年をとるとね」

 その人は僕の先に立って、庭の方に案内してくれた。

「すてきなお庭ですね」僕はか細い声で言った。少し差し出がましい口を
利いているような気がしたからだ。

「そうお?雑然としていて、木も花もみんな古いものばかり。
私たちが昔植えて、それからずっと丹誠込めて世話してたものなのよ。
でも好きなものばかり、あっちの山で見つけて抜いてきて、
こっちの野で見つけて抜いてきて、あっちの知り合いのところで
分けてもらって、こっちの知り合いから無理矢理もらって、とね。
余り考えないで集めてきて、まあ日当たりかげんや何かは考えたけど・・・。
こんな庭でもほめてもらうと悪い気はしないわよね」


その老婦人は庭をぐるりと見渡した。

 確かに雑然としているかもしれないけれど、僕にはこの庭は老婦人と同じく
とても品があって、個性的で凛としているように見えた。
花々も木々も、何かの「気配」を持っている、そう言う感じ・・・
僕のそのときの言葉ではうまく言い表せなくてひどくもどかしいような気がした。
僕は静かにその庭の気配に浸っていた。

 その庭はあちこちに起伏があって、平坦ではない。
そして高い木もあれば灌木もあり、日当たりの良い花壇もあれば、
木の根元にいろいろな種類の下草が植えられているところがあったりもした。
人間は細い曲がりくねった飛び石の小道を歩きながらその庭を巡る。
そしてその間にすっかり心を安らげることができる・・・
それがその老婦人の庭だった。

 僕はとても気分が良くて、かえって無口になっていた。
太郎も心なしか気持ちよさそうだ。

「お茶でもしていかないこと?」
老婦人に不意に声を掛けられて、僕は少し驚いた。

「ちょうどお茶の時間だわ。こんなおばあさんの相手でも良かったら、
うちに入って、お茶でも飲んでいってくれたら嬉しいわ」
彼女はにっこり笑っていった。


 僕は少し呆然としながらも「ええ」と言った。

 今度は太郎は外につないで、僕は老婦人の後について、家の中に入らせてもらうことになった。





 家はとても古くて、うす茶色の壁と焦げ茶色の木の柱が印象的だった。
別に似ているわけでもないのに、僕はずっと前、何かの本で見たイギリスの
シェークスピアの生家と言われている、ストラトフォード・アポン・エイボンの、
あのどっしりした木と分厚い壁(に見える)の家を思い出した。

 この住宅街の周りの家々とは全く異色な家で、新しいがせせこましくて
薄っぺらい感じのする灰色のつまらない家が多いのに(でも住むのには
その家々の方が便利なのだろう)対して、その古い家はいかにもその個性的で
本当に自然に満ちあふれた彼女の庭と調和して、一つの景観として生き生きと、
だが落ち着き払って・・・周りの空気と遮断された静謐さを伴って
建っていたのである。


 どう言葉に表現したらいいのだろうか?僕にとっては彼女の庭と家は、
本当に手入れが行き届いて、いい匂いに満ちた山に入り込んだときと同じ、
自然からの親しみに満ちた、友情の空気とでも言える暖かさにあふれている、
そう言う感じがするのだった。人工的な気配が不思議としない安らぎ。


 僕の心はすっかり高揚し、今日この日に偶然、この老婦人に庭に
招き入れられた事をなんと幸せなことだろうかと本当に嬉しくなってしまった。

 家の外に太郎をつながせてもらい、しばらく待つように言ってから
僕は家の中に入らせてもらった。玄関ホールを通り、廊下を通り、
その奥が通してもらった居間だった。

 この家の中はなんと面白いのだろう。それが僕の最初の感じたことだった。

 想像したとおり、とても居心地が良くて暖かみと住む人の個性に
満ちているのだが、その「個性」と来たら。僕は座ることも忘れ、
その部屋の隅々にまで満ちた面白くて、不思議な物たちを飽くことなく
見渡し続けた。


 「面白い? みんな私が昔作ったのよ」

「え?そうなんですか? どこか旅先で外国なんかの珍しい物を
集めてこられたのかと思いました。すごいですね!
ご自分でこんなのが作れるなんて!」


「そうね。作るのは昔から好きで・・・。自己流でいろいろ考えながら
作ったの。楽しみながらね。
お茶をお入れしたわ。さめないうちに召し上がって」

 僕はこんな風にお茶をごちそうになる事自体、生まれて初めてのことだった。
どっしりとした(織部の茶碗だと彼女に教わった)小ぶりの抹茶茶碗に
不思議なにおいのするお茶が入れられ(「何のことはない、ジャスミンティーよ。
香りが良いでしょ?」と彼女は言った)、彼女が焼いたという、おいしいケーキが
添えられていた。

 抹茶茶碗に抹茶を入れないといけないって事はないし、必ず和菓子を
食べないといけない、てもんじゃないわ。私は不思議な物、変わったこと、
人と違うこと、自分にしかできない物、そう言う物が好きなの。

 服だって、自分が着心地が良くて、似合っている物を着るべきだわ。
暮らし方だって、自分が本当に気分のいい生き方が良い。

 そう思わない?・・・彼女はそう言うようなことをあっさりと短く言った。

 彼女が言うと、ちっとも威張って聞こえない。本当にそうなのだろう。
彼女の生き方はとても気持ちよさそうだ。僕は本当にそう思った。
だがそう思えるようになるのは一体何年先なのだろう? 
今の僕はまだ、周りの人と歩調を合わせてはずれないように、
汲々として生きるしかできないような気がする。
流行を追ったり、みんながすることが良いことのように思ったり。

 でも僕はその老婦人の生き方をとてもいいと思い、すばらしいと思い、
老いると言うことはちっとも悪いことではなくて、
磨きを掛けることなのだと思う、そう言う風に自分の感性が
あり得たことがとても嬉しかった。

 彼女の作った物はどれも、自然の物で作ってあった。
自然の形態を生かし、オリジナリティーに満ちていた。
動物が作ってあればそれは何とも人を食ったようなユウモアに
満ちた表情をしていて、たいていの物は何かの用を足すために
作られているのだが、それは何のための物だがはっきりとはわからず、
ただの置物だとか、かざりとかに見えるのだった。

 僕はいちいち彼女に、これは何のための物?これは?あれは?などと言って、
質問責めにした。彼女はいちいち丁寧にこたえてくれ、僕はそれに対して、
とても感心するのだった。

 そんなこんなでいつの間にやら時間はすっかり経ち、
気が付いたら夕方を通り越し、日はすっかり暮れていた。
僕はあわてていとまを告げ、太郎に謝り、またおじゃまして良いかどうか、
彼女に尋ねた。


「ええもちろん、いらして。いつでもどうぞ。今日は楽しかったわ。
ありがとう」

 老婦人は少し疲れて見えた。少し長く良すぎただろうか?
僕は少し気にしながらその家を後にした。だがまた再訪する、
そんな楽しみができたことがとても嬉しかった・・・。





 僕はそれからまた2,3日して、その人の家に、おじゃました。
今度は家に入らず、いい天気の日だったし、太郎と一緒にまた庭を
見せてもらった。寒いときにもかかわらず、どの植物も懸命に生きているような、
生気を感じた。枯れ果てたような寒々しさはなく、春がくるのをじっと耐えて
待っている、そんな感じなのだ。


 そのしるしに、下草のあたりには新しい草の青い若葉が密かに見えてたり、
木にも新芽がでている。厳寒の時でも春の気配がする、そのことに
僕は喜びを感じた。裸の木蓮の木に、新しい芽が出ている。
そしてある枝には鳥の巣が掛かっていた。そんな些細なことにも
僕は自然の営みを発見して、とても嬉しかった・・・。

 僕はふと、僕自身はその人にとっては、いろいろなことを共感できる相手として、
とても楽しんでくれているような気がした。
大して会話がはずむ、と言うわけでもなかったが、何となく心地よかった。
そしてその人もそう思ってくれているような気がしたのだ。
見当はずれな勘違いかもしれないけれど。

 ところで僕はちょっとした会話の合間に名前を聞かれて、こたえた。
「犬の名前しか知らないなんてね。この前聞けば良かったんだけど、
何だか聞きそびれて」


老婦人はほほえんだ。

 それから僕は少しして言った。

「お庭と言い、家の中と良い、いろいろな物を既製の物屋、マニュアルに
頼らないで、作ると言うことがご夫婦で好きだったんですね」

「そうね。二人とも、本当に何かを作ることは好きだったわ。
庭は二人で、家の中のあの飾りたちは私が、そして食事作りなんかは
二人でしたものよ」

「食事作りをお二人で?それはいいですね。でもめずらしいですよね?」

「ええ、でもなくなった主人は好きだったの、料理が。
みそを仕込んだり、カレーをカレー粉から作って煮込んだり、
ソーセージを作ったり、いろいろしたものよ、でもそうやって手を掛けて
作った物はやっぱり美味しいのよ。いまじゃあ、すっかりなんにも
してないけれど・・・」

「そうなんですか・・・」

僕は気の利いたことを何一つ言えずに、それだけを言った。
老婦人の言葉に何か悲しいものを感じたからだ。

「主人が亡くなってからはもう、何もかも作るのをやめてしまったのよ。
あれぐらい創作活動に励んでいたのが嘘みたいに」

老婦人はどこか遠くを見つめているようだった。
風の吹く、その先をどこまでも追いかけているように視線を走らせていた。

そのずっと先にご主人が去っていって、それを見つめているかのようだった。

「なんにも・・・?」

「作るのが好きだったのか、作っているそのときに、
主人と共有している時間が好きだったのか・・・。
今はひとりぼっちだし、もうどうでも良くなって」

僕にはこの活動的で個性的で、生き生きしていて、いつもにこやかで
すてきな女性、そのイメージが焼き付いていたのだけれど、
本当はとても寂しくてうちひしがれているような気がした。
それは考えすぎで、ただご主人のことを思うときだけ、寂しくなるのだ、と
思いたかったのだけれど。

 僕は老婦人の横顔に年齢がくっきりと現れているような気がした。

 それからは沈黙が続いて、僕はそのうちもごもごと口の中で挨拶をして、
暇を告げた。その人は少し寂しげな微笑を浮かべ、それでもいつもの表情を
取り戻しつつ、手を振って僕を見送ってくれた。


 その晩はとても冷え込んだ。夜中に起き出して、太郎を玄関に
入れてやったほどだった。この冬一番の冷え込み、天気予報で
そう言ってたっけ・・・。僕は昼間のことを思い返しながら、寝付いたのだった。





その夜はとても静かだった。朝起きて窓の外を見ると、一面の銀世界で、
町は静まりかえっていた。
時々タイヤにチェーンを付けた車のジョリジョリジョリ・・・と音を立てて、
ゆっくりと走る音が聞こえるくらいである。
夜中に降り出したとおぼしき(太郎を玄関に入れたときには
まだ降ってなかったので)雪はなおも降り続いていた。


 その日は昼前ぐらいに止んで、夕方過ぎにまた降り出した。
そしてまた降り続いて、結局止んだのは次の日の早朝だった。
そして寒波は停滞したまま、町を凍り付かせたまま、しばらく雪が
溶けることはなかった。


 その間僕が気になっていたのは例の老婦人のことだった。
母に言いつかって、慣れぬ雪かきをしたり、屋根から雪下ろしをしたり、
家の裏手に雪を集めたり、買い物の手伝いをしたりして、
割と忙しく過ごしていた約1週間の間、僕は太郎と一緒に散歩にのんびり行って、
老婦人の元を訪れる、そう言う「気晴らし」をすることがなかなかできなかった。

 だがあの人は、雪にどうやって対処しているのだろうか?
行って手伝いをした方がいいのではないか?
何か具合の悪いことが起きてないか?・・・いろいろなことが気になって
しょうがなかった。

 それでも僕の足が向かわなかったのは、僕の知らぬ老婦人の一面がある、
そう言うことを思い知らされたあのほんの一時、あの寂しげな横顔が、
僕を拒絶したのだ、と思いたいのだが、ただ単に自分のうちさえ何とかなれば、と
言うずるい心だったのかもしれない。

 僕がようやく太郎を連れて散歩にでるようになったのは、
寒さがゆるんで天気のいい日が続き、雪がだいぶ溶けてきた時のことだった。
歩道に何メートルにも積み上げられた雪の壁も、2メートルぐらいの
高さがある雪だるまも、かまくらも、その迫力を失いつつあり、
やっと自分が住んでいるのが関東南部だ、と言うことに自信が持て始めた頃だった。


 僕はきらきら光る雪の固まりにも、側溝の大きな音を立てて流れる大量の水にも、
屋根からしたたり落ちる水の音にも、なんだかわくわくしてきて、
上機嫌で散歩に出かけたのだった。僕のわくわくぶりは太郎にも伝染して、
太郎の足取りもいつもよりもずっと軽いようだった。
僕はいつもの道をたどり、やがて角の家の前まできた。

 家はいつもと違う様子をしているようだった。雨戸は全部閉まり、
門扉も施錠してあり、人の気配が全くしないのだった。
庭も雪がかぶさって、いつもの様子とは違うように思われた。
太郎も警戒しているようだった。

「どうしたんだろうね?太郎。あの人、いないみたいだね?」

 太郎が返事代わりにうなった。


 僕はそれから何日も何日も毎日通ったけれど、雪が全部溶けて、
寒波もとっくに去って暖かくなっても、ずっとずっと誰もいない、
死んだように静まりかえって、うらさびしげに変わり果てた、
家と庭だけが静かに存在しているのだった。
そしてある日「売り家」という看板まで下がって、僕はとうとう通うのを
あきらめたのだった。

 あの雪の降り続いた一週間・・・一体何があったのだろう?
そして僕は一体何をしていたのだろう? 何を口実に、何もしないで
いたのだろう? いくら悔やんでも何も元通りには成らない、
僕は心がキリキリと痛んだけれど、誰にもその痛みを分かって
もらえないのだった。うち明けることすらできないのだった。


 そしてある日、僕の元に小包が届いた。ミカンの入っていたような
ごくふつうの段ボール箱だった。中を開けると、ごちゃごちゃに詰め込まれた
ガラクタのような物がいっぱいでてきた。だがガラクタと見えた物は
どこかで見たことのある・・・
そう、あの老婦人自作のいろんなからくりのある、部屋の飾りたちだった。

 あの家の中で、あの老婦人と一緒にあるときは、あんなに生き生きと、
ユーモラスでかわいらしく見えたその飾りたちは、今や生命感に乏しい、
寂しげなガラクタに見えてしまったらしい。


 なぜここに、僕の元にその箱が届いたのだろうか?
僕は箱の中に入っていた手紙を見つけ、読んでみた。





 封筒も便箋も何の変哲もない手紙だった。なんだか書き殴ったような、
急いで書いたような字で、そのことが僕の目を引いた。

差出人は今までに知り合ったことのない、女の人の名前が書いてあった。

「前略。初めてお手紙を差し上げます。突然の事で驚かれたことと思いますが、
私の母は****と言い、最近まであなたの町内の、****と言うところに
住んでいました。ご存じでしょうか? あなたが飼い犬の太郎君を連れて、
散歩がてら時折訪れてくださっていた、一人暮らしの女性が、私の母です」

僕はあ、っと驚いた。それであの見覚えのある、飾りたちが入っていたのだ。

「憶えてくださっているでしょうか? 母のことや、母が楽しんで作っていた、
あの室内の飾りたちのことを。
母は自分の死後、その飾りたちをあなたに送って欲しい、と
言い残して先日なくなりました。私の元にはほかの全ての物・・・母の衣服や、
大事にしていた家具、装身具、それから食器、母がかわいらしく刺繍を
施したリネン類、そのほか諸々の物をみんな遺品として、受け継いだにもかかわらず、
一番大事な母の創作物をあなたにお譲りするのは、本当に気が進まないのですが、
母の遺志なので、あえて送らせていただきました。

 そのためにあなたのお名前しか母から聞くことができなかったので、
いろいろ苦心して調べる羽目になりました。
不愉快だと思われるかもしれませんが、どうぞお許し下さいませ。

 母の家の周辺で、あなたの姓のおうちに電話して、あなたのお名前の
お子さんがいらっしゃるかどうか尋ねたり、店に入って、該当するような青年が
近所にいないか、いろいろ聞いて回ったり・・・。
そのうちあなたが(たぶんあなただと思った)飼い犬の太郎君を連れて
散歩しているのをお見かけして、つけていって、姓や住所を確認することが
できたので、やっと送ることができたのです。

 その間私は何かにとりつかれたようでした。全然気が進まぬのに、
母が望んでいるからと、必死で慣れぬ探偵まがいのことをして、
とても苦痛でした。

 同封した物の中に、母が最後に過ごしたあの家での数日間で作り上げた、
太郎君のための首輪につける飾りがあります。それは本当の母の最後の遺作と
なった物です。
どうぞ使ってください。

 母はあの雪に閉ざされた家の中で、一生懸命に皮を細工して
そのかわいらしいメダルを作ったのです。とても寒いのでつけっぱなしに
していた暖房器具が壊れ、壊れたのにも関わらず、根を詰めて作り続けたあげく、
気が付いたときには、ひどい流感にかかって、高熱を出していたのです。
自分の体調にも気づかないほど夢中になっていたなんて、
母らしいと言えば母らしいのですが、本当にとてもひどい状態で、
身動きが取れなくなって、とうとう私に電話をしてきたのでした。


 それはもう、滅多にないことでした。いつも気丈で、
健康ではつらつとしていて、私の世話など必要としていなかった母が
弱り切った声で電話をしてきたのです。
雪の中で、隣接している市に住んでいるとはいえ、雪の中です。
やっとのことでたどり着いたときには絶望的な状態に見えました。

 急いで病院に連れて行き、できるだけの治療をしていただいて、
少し持ち直したとき、母はそれは楽しそうにあなたとあなたの太郎君のことを
話してくれました。

 母はあなたのことを3分の1ほどの年齢の若者にも関わらず、
母の庭、家、創ったもの、全てに瞬時に理解することのできた、
『共感する者』としてとても高く評価していました。
だから意志の疎通がとても楽で、そして楽しかったそうです。
まるで私の父のように。

 そして話しているうちにインスピレーションが湧いてきて、
あのメダルを創ったそうです。何かを創る気になったのは本当に久しぶりで、
とても楽しかった、だから早く渡せるだけ元気になりたい、と
とても楽しげにはなしていて、私は少なからずあなたに(私の息子ほども
若いあなたに)嫉妬心を憶えたほどでした。


 そのうちにまた衰弱してきて・・・とうとう母も自分が持ち直すことはできない、
と悟ったようで、あなたに作品たちを送るようにと言い残したのです。

 でも私は思います。それ程に意志の疎通が楽で、
お互いに理解し合える者同士なのなら、どうして、どうしてあなたは
あの深い雪に閉ざされた極寒の時に、私の母がどうしてるか、
老人故に何か困っていないか、一瞬でも思い出して、少し様子を見に来る、
それだけのことができなかったのか。

そしてそうしてくれて、母をあのとき助けてくれていたら母は
まだ生きていたのではないか。

 そして雪が降り出した時に、大雪になると言っているのを聞いておきながら、
どうして私は母を連れに行かなかったのか。
なぜ母をもっと早く助けに行かなかったのか。
母から電話がかかってくるまで、私は母を放っておいたのです。


 私はこれからもずっとずっとこのことで心を苛み続けるのでしょう。
後悔し続けるのでしょうね。結局年を老いてみなければ私たち若い(?)人間が
いかに冷たいかは理解できないのでしょうか。

 たった一つの救いは、母が幸せそうになくなったと言うことです。
誰のことも恨まずに、もうあなたに会えないのは残念だけど、
もう少し生きていたかった気もするけど、でもお父さんに会えるから、
それが嬉しいわ、そう言い残して往きました。

 すばらしかった私の母の遺品を同化大事にしてください。
どうぞお元気で。草々」

  僕は手紙を読んで、涙で手紙がぐしゃぐしゃになるまで泣いて、
それからその手紙を大事にしまい、箱の中から太郎のメダルを探して、
それを抱きしめて、おいおい泣いた。
このあの老婦人の娘さんのように、後悔しても後悔してももう遅い、
その無念な思いと、もうあの老婦人にあって、インスピレーションに満ちた、
すばらしい話を聞けない無念さ、いろいろな思いが僕を号泣させたのだ。

 僕はそれから何年も経ってから、この手記を書いている。
あれから僕はしばらくして大学に入った。
そして僕の苦痛に満ちた経験を心の奥底に封印し、何事もなかったように、
ふつうの大学生生活を送る事に専念した。

 今朝早く、今まで長らく、僕の友達として一緒に生きてきた、
そして今は老犬となった、太郎が死んだ。
僕は太郎を抱きしめ、そしてまた心の底から泣いた。
あの老婦人の死を知って以来のことだ。僕は太郎の首輪のメダルを見て、
あのことを思い出し、太郎の思い出とともに、あの婦人のことを
書き留めておこうと思ったのだ。

 これから先、生きていればこういう身を切られるような深い悲しみは
幾たびも経験するのだろう。僕には耐えられないようなことだと、今は思う。
その悲しみや寂しさに耐えられるようになるのが、
老いと言うことなのだろうか?
ぼくはしばらくそのことについて考えたいと思った。

 もうすっかり古びてしまったけれども、初めてメダルを太郎に
つけてやった日のことを思い出した。
太郎!とっても男前があがったよ」僕はそう言ってやった。
気のせいかもしれないが太郎も少し得意げに見えた。
そのメダルを太郎につけて、僕は散歩に行った。
足が自然とあの角の家に向いた。



 終わり(22020218少し改訂)


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