新世紀へようこそ 100

池澤夏樹/なぜアメリカは戦争をしたか?

2001年の9月24日、つまりニューヨークとワシントンへのテロ攻撃の13日後に
一回目を発信した「新世紀へようこそ」もこれで100回目になりました。

振り返ってみれば、この100回はすべて世界の不幸についての考察ばかりでした。
作家としてぼくはできることなら世界の幸福について書きたいと願っていますが、
ここはその場ではないようです。

たぶん、不幸を論じるのは義務なのでしょう。なぜならばそれは不幸な人々への関心の表明だから。

充たされた者にとっては、充たされない者の身を案じるのは義務だから。

皮肉なことに、この間、ぼくが発表した文章の中で、
最も具体的に幸福を語ったのはイラクについてのものでした。

 『イラクの小さな橋を渡って』でぼくは、2002年11月にはイラクはぜんたいとして
幸福な国であったと書いたのです。

今のイラクは不幸です。

多くの死者を出し、社会システムを破壊され、先の日々には不安が満ちています。

しかし今のイラクについて、新聞やテレビの報道はすっかり減ってしまいました。

混乱と無秩序について、食糧の流通について、社会の雰囲気について、知りたいことはたくさん
あるのに、それを伝えるニュースは少ない。

戦争はゲームだから報道されたのか。人々の関心はそれだけだったのか。

今、メディアの中には、まるでイラクが生まれ変わったようなことを言っているところもあります。

しかし、実際にはイラクは壊されたのです。水を入れた壺を割れば、水は地面に流れてしまう。
壺は破片となって散る。

アメリカは暴力で壺を割りました。人々は破片を拾ってなんとか修復しようとしています。
それが今イラクで起こっていることです。

博物館が略奪にあったという報せはショックでした。

あそこはぼくが好きな場所で、一日かけてたくさんの収蔵品を見てまわりました。
その日の興奮をよく覚えています。

その収蔵品が大量に盗まれた。

ミロのヴィーナスが盗まれたらどれほどの騒ぎになるか。イラク国立博物館にあったのは
あれよりずっと古い時代の重要な遺物の数々です。それが散逸したというのに、かくも無関心な
扱いしかないことにぼくは憤慨しています。

 アフガニスタンで、バーミヤンの磨崖仏がタリバンによって破壊された時、西側のメディアは
大騒ぎをしました。とんでもない蛮行だと言いました。

しかし今回の略奪については数日に亘る散発的な報道の後はもう何も言わない。
だれも追跡しない。

磨崖仏の爆破は政治的なメッセージでした。だから西側諸国は反発した。

それとは別に、戦乱の中で、アフガニスタンの文化財が多く持ち出され、外国のコレクターに
売られました。日本に入ったものも多かったようです。

一度、個人のコレクションに入ってしまったものはなかなか出てきません。特にそれが盗品の場合、
公共の目には触れなくなる。学者は研究の資料を失うし、ぼくたちのようなファンも見る機会をなくす。

イラクでも、奪われたものは国外に運ばれたのでしょう。普通の市民が文化財を盗むはずはない。
イラク社会の不満分子に文化財が金になることを教え、買い取り、国外へ搬出した業者がいたはず
です。

イラクには厳格な文化財の輸出規制がありました。開戦に先立ってアメリカの美術商たちが
この規制を撤去しろとアメリカ政府に圧力をかけていたという報道があります
(英ガーディアン紙4/8)。

盗品の行く先は先進国の富裕な人々しかあり得ない。西側諸国はそういう形でまたもイラクの
富を奪った。

これは今回イラクが被った不幸のほんの一例にすぎません。

それにしても、なぜアメリカはイラクを攻撃し、破壊したのか。

湾岸戦争の時に比べれば、国際的な支持はほとんどなかった。多くの国が反対し、賛成にまわった
国でも、政府は賛成しても国民の過半数は反対というところが多かった(同盟国であるイギリスでさえ、
議会が開戦に反対する可能性はあって、そうなったらブレア首相は辞職していただろうと言われて
います)。

それでもアメリカは戦争をした。

その理由についてぼくたちはさまざまな憶測をしました。大きなものは二つです。

第一は、イラクの石油資源を支配下に置きたいと願っている。

第二は、アラブの盟主としてイスラエルに対抗しうる最も強力な政権を倒したい。

どちらもある程度の説得力を持ってはいるけれども、何か決定的ではない。

どうも心理として納得できない。

なぜアメリカは(ブッシュ政権だけでなくアメリカ全体が)あんなに感情的になったのか?

理性的な説得ではなく、国民の感情に訴えたからこそ、ブッシュ政権はあの戦争を遂行できた。
そのためにメディアが動員され、フセイン悪魔説が広められ、アメリカの崇高な使命がファンファーレと
共に宣伝された。

そのけばけばしい宣伝の中で、反戦の声は抑えこまれた。およそ非現実的な戦争の理由を
アメリカ国民は受け入れた。

となると、やはりこれは心理の問題です。

この重大な問題について、おもしろい本を読みました。
エマニュエル・トッドというフランスの人口学者が書いた『帝国以後』(藤原書店)です。
人口学というのは、統計的な人口動態から世界の動きを分析する学問で、トッドはソ連の崩壊を
予言した人として有名です。 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4894343320/impala-22/ 
彼の説をぼくなりに要約してみます。

冷戦の頃、アメリカにはソ連に対抗して西側諸国を護るという使命があった。しかしソ連という敵が
いなくなって冷戦が終わってしまうと、この使命も消滅した。
つまり、今、世界はアメリカを必要としていない(この場合、世界とは世界全体からアメリカを除いた
残りの部分のことです)。 
それに対して、アメリカの方は世界を必要としている。資源の供給地として、マーケットとして、
さらに投資者としての世界がなければ、アメリカ人は今の生活水準を維持できない。 

中東の石油を輸入し、代わりにディズニー映画とマクドナルドとコカコーラを売り、アメリカの国債を
日本に押しつけて資本を得る。自分たちが必要とされていないのをアメリカはずっと不安に思っていた。
だから必死になって自分たちの出番を作った。 
世界の安全が脅かされているという冷戦時代のままの図式を、オサマ・ビン・ラディンとタリバンを
相手に作り、それが終わってしまうと今度はイラクとテロリストの結びつきや大量破壊兵器の脅威を
言い出した。

しかしそれが幻想であることを世界は知っていた。アメリカにとって都合のいい幻想。
だから国連は動かなかった。

では、イラクの民主化という、アメリカが最後に掲げた大義はどうだったか。 
アメリカが軍を動かさなくても世界は民主化されつつあるとトッドは言います。 
ここで彼が民主化を図る指標として用いるのは、識字率の向上と出生率の低下です。 
アラブ圏も含めて、いわゆる途上国では字が読める人が着実に増えています。
字が読めれば人は知識を得るし、社会全体について自分なりの判断をするようになる。
また特に女性が字が読めるようになると、その社会の出生率はぐんと低下する。
少なく産んで大事に育てるようになる。 

一部の者が社会を自分たちの利益のために勝手に動かすことがむずかしくなる。
これが民主化ということです。 

今も例外は各地にさまざまあるけれども、それでも世界は民主化に向かって着実に進んでいる。
アメリカが武力によってそれを加速する必要はないし、またその資格もない。
今回、国連が戦争を認めなかったのはそのためです。だから、アメリカは国連をあからさまに無視し、
その権威をおとしめようとしている。 
もともと国連は第二次世界大戦の戦勝国が中心となって作られた機関です。あの戦争では連合国と
枢軸国が戦って、前者が勝った。そして、英語では国連も連合国も共に United Nations です。
すべての国が平等ではなかったし、その影響は安保理の常任理事国の顔ぶれなどに今も残っています。
その国連とアメリカの間に亀裂が生じた。 これを機に国連は戦勝国の意思の代理機関ではなく、
本当に世界のすべての国の考えを論じる場になるのではないか、非常に困難な道ではあるけれども
そちらへ一歩踏み出すのではないか、という期待もぼくにはあります。

この一年、アメリカの帝国化が心配されました。ここで言う帝国とは、直接統治以外の手段によって
広大な版図を支配する政治システムというくらいの意味です。当然、軍事力と経済力が重視される。 

軍事と経済で他を圧倒するアメリカがこれからしたい放題をする。それをぼくたちは懸念しました。
しかし、トッドに依れば、アメリカの経済にはそんな力はない。また軍事力もそれほどの規模ではない。
今回イラクを敵に選んだのは、イラクならばまず負けないとわかっていたからです。 
湾岸戦争で痛めつけ、経済制裁で国力を奪い、飛行禁止区域を作って防備を骨抜きにした。
アメリカ軍にとってはこれほど叩きやすい相手はいない。 
だいたい、自国の若者をたくさん死なせてまで戦争をするコンセンサスは今のアメリカにはない。 
その意味では、平和な日々の暮らしの価値を最もよく知っているのがアメリカ国民であるはずです。 
この常識と好戦的な使命感はなかなか結びつかない。無理に結ぶためにメディアが使われた。 
それでも、最も貧しい階層の若者ばかりを戦場に送ったという後ろめたさは残ります。だから彼らを
英雄に仕立て上げる。 
これから世界が相手にしなければならないのはこういうアメリカです。 
アメリカが背伸びをやめて本来のサイズに戻るまで、たくさんの困難が予想されます。 
21世紀はそういう時代になるでしょう。

(池澤夏樹 2003−05−05)

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送