■福の神 2■

次の日の夜。
あたしはまた夜中に目が開いた。
いつもだと朝まで熟睡して、夜中に二日も続けて起きるなんて、絶対ないのに。
はぁ…あたしはため息をついた。
そうだ。なんか飲もう。

あたしは台所に向かった。
ぼんやりした頭で冷蔵庫を開くと

「よお」
…あの目つきの悪いホッキョクグマがこっちを見て片手を上げていた。

「またあんたなの」
「そうだよ。だってここ俺の住処なんだもの。そうそう昨日の鮭、おいしかったよ。
ありがとね」
「あんたの為に買った訳じゃないわ。特売日で安かったのよ」
「もうちょっと脂がのってると尚の事良かったかも」
「だからー、もうっ!あんたのためじゃないってば!」

「ところでさ、奥方。今日なんかいい事あった?」
「はぁ〜何にもないわよ!いい事なんてひとつもないわ」
「そうなんだ。真夜中だって言うのに、えらく別嬪さんだよ?なんかいい事あったでしょ」
「訳わかんないわね、このクマ」
「落ち着いて。どうしていい事なんかひとっつもないって言う訳?」
「だってさ、会社に行ったら正社員のオバサンがさ、自分がやりたくないことを
いっぱい押し付けるんだもの。トイレ掃除だの、窓拭きだの。そのくせおっさん
連中が出社してきたら、途端にコロッて変わんの。ニコニコ笑いながら
お茶いれて出すんだよ。
大体さぁ、イマドキどうして女性社員が男性社員にお茶なんて出さないといけないわけ?!
しんじらんないわ!給湯器でもコーヒーメーカーでも置けばいいじゃん。変な会社なのよ、
何から何までさ。
それでさ、その掃除のせいで自分の仕事にとっかかるのが遅くなっちゃうし。
全部後に後にずれ込んでさ、夕方スーパーに飛び込んで、何にも作る暇が
無いから出来合いのお惣菜買い込んでさ、家に帰ったら、もう!!
洗濯物は外に出っ放し、炊飯器にお米はセットされてないし、家の中はぐちゃぐちゃ。
子供なんてね、産んだって何の甲斐もないのよ。何の役にも立たないしさ、
晩御飯だって『ええまたこんなの〜?』って文句を言う。文句言うんなら
ちゃんと自分たちがやればいいのよ。そう思わない?もう大きいんだからさ。
はあ〜もう嫌になっちゃう。あたしだって仕事なんてしたくないわよ。だけどさ、
旦那の給料じゃ日干しになっちゃうんだからしょうがないじゃん。
…ってあんたに吐き出してもしょうがないわね、ごめんね」
「まあね。でもさ、大変だね、あんたも。色々抱えてるんだあ。もしかしたらさ、
抱えすぎなんじゃないの?お子達だってさ、きっと分かってないんだよ。
お母さんが何でもしてくれて当然、ってなもんでさ。少しずつ教えていけば?
お母さん大変だからこうしておいてね、って。置手紙に指示出しておいたって
いいじゃん?」
「まあそうかもねえ。…ありがとね、グチ聞いてくれてさ。あたしもう寝るわ」

冷蔵庫の扉を閉める寸前、ホッキョクグマが穏やかにニッコリしたような気がした。

次の日の晩もあたしは何となく目がさめて、台所に行って、何となく冷蔵庫を開けた。
やっぱりそこにホッキョクグマはいた。
あたしは何となくホッとした。
「あらいたの。今日入れといた鮭はお気に召したかしら?こってり脂の乗った
キングサーモン買っといたんだけど」
あたしは夕方タイムサービスをやってるスーパーに飛び込んで、1パックだけ残った
それをガシっと掴んで籠に入れ、買ってきたのだ。

「うん、美味かった。気を遣わせたみたいだね」
「いいのよ、タイムサービスのなんだから」
「タイムサービスって何?」
「いやその。なんていうか、その時間だけちょっと割引になってる商品の事」
「ああなるほど。ま、それで充分。福の神なんてのはね、そんなもんさ」
「はあ…」
「それでさ、今日はなんかいい事あった?」
「いい事?まあそれ程いい事はないけど。割と仕事がはかどったから、定刻で
帰られたのが嬉しかったな。あんたが言うように置手紙を残しておいたら
子供達がちゃんとご飯を炊いておいてくれたんだ。そんなところかな?」
「うわぁすごい!良かったじゃない。のお子達、なかなか見込みがあるよ。
以前から思ってても、一歩が踏み出せなかったんじゃない?」
「そうなのかなぁ。ま、あんたのおかげね。…ああねむ。そろそろ寝るわね」
「そうだね。ま、ゆっくり寝るといいよ。おやすみ」
「おやすみなさい」



「今日はね、上の子がご飯を炊いて野菜を洗ってくれててね、下の子が
洗濯物を取り込んでちゃんとたたんで仕舞っといてくれたんだー。あたしね、
嬉しくてつい涙がボロボロこぼれてね…そしたら子供達がびっくりしてさ。
『お母さん、あたしたちこれから毎日もっと手伝うねー』って言ってくれたの。
すごい嬉かったよ」
「良かったなー。俺もそんな話を聞くと涙が出てくるぜ。あーいい話だねえ」
「うん、ありがとね。あんたのおかげだね」
「そうかな?」
ホッキョクグマがニンマリ笑った。

そんなこんなで、あたしは毎晩おきて台所で冷蔵庫の扉開けっ放しで
そのホッキョクグマと話をするのが恒例になってしまった。
ホッキョクグマはいつもあたしに今日なんかいい事あった?と聞く。
あたしはいろいろ話をしているうちに、いい事がいろいろあったことに気がつく。
寝不足にも関わらず、毎日ご機嫌で過ごせるようになって、会社でも
最近変わったねーなんていわれることが増えた。
あたしが機嫌がいいと子供達も笑顔が増える、そんな気がする。
あたしは、誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。
誰かに優しく受け入れて欲しかったのかもしれない。
変な話だけど、ホッキョクグマはほんとに福の神なのかも…って
気がするようになった。


ある日、あたしは朝まで目がさめずにぐっすりと眠った。
いつもなら毎晩目がさめて、ホッキョクグマと話に行っていたのに。
あたしは体を起こすと、朝食の準備をしに台所に立った。

あれ?
冷蔵庫から材料を出そうとして、あたしはふと冷蔵庫の扉がほんの少し
開いているのに気が付いた。
「あららら。一晩中開いてたのかしら…。マズイよねえ」
扉を開けると、案の定、冷蔵庫の中の壁面には水滴が一杯ついている。
モーターが大きな音を立てて、庫内を冷やそうと無駄な努力をしている。
庫内の空気は少し生ぬるい。

うわぁ…やっちゃった。
昨日の晩、最後にどうしたっけ?
夜中は起きなかったしねえ。
なんでだろう。

あたしは少し考え込んで、ハッとした。

そう言えば、ホッキョクグマは?
あたしはいろいろ詰め込んだ食料品をかきわけたり押しのけたりして
ホッキョクグマを探した。

だがホッキョクグマはいなかった。
食品を全部冷蔵庫の外に出しても見つけられなかった。
パーシャル室なら少しはましかも?と思ったけど、いなかった。


ホッキョクグマは結局いなくなった。
あたしはその日げっそり落ち込んで会社を休んでしまった。

ああ…あたしがドジって冷蔵庫の扉をちゃんと閉めておかなかったばかりに
ホッキョクグマを追い出すような事をしてしまった。
そう思って落ち込んでばかりいた。

何日か経った時、上の娘があたしに言った。
「お母さん、最近元気ないね。どうしたの」
「うー…ん。お母さんのドジのせいで、大事な友達がいなくなっちゃったんだよね…」
「そっか。でも大事な友達なら、また戻ってきてくれるよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
あたしは娘に慰められ、そして元気を出した。

ホッキョクグマはいなくなってしまったけど…またどこかのうちの冷蔵庫にいついて、
そこの家に福をおすそ分けしてるかもしれない。
その福は、1千万円あたるとか、海外旅行が当たるとか、そんなすごい事じゃ
ないけれど、ささやかだけど、とても幸せになれる「福」なのだ。

ごめんね。
でもありがとうね。

あたしは心の中で呟いた。

でも今でも、冷蔵庫の扉を開けると、あの目つきの悪いホッキョクグマが、
「よお」なんて片手を上げて待ってるような気がする時がある。



ende


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