デシュレッダー男
 
 腹が減ったので、ちょうど見かけた公園のそばにある、うどん屋に入った。
近頃こんなに金穴のおれでもちょっとひるむほどの小汚い安食堂で、
実際入り口のところで引き返そうかと思ったが、この空腹加減からいって
ほかに探すのは、この暑さの中だし疲れきっていたし、もう無理だと思い、
あきらめて席についた。
無愛想なおばちゃんが出てきて、小汚い湯飲みをだんっと音を立てて
おれの前に置いた。「何にする
?」・・・といっても品書きにはほんの数種類しかない。
おれは
2番目に安いきつねうどんを注文した。
3角形だか5角形だか、変則的な格好をした店内に、客はなぜかよく入っている。
天井近くの棚に入っているテレビがうるさいほどの音量で漫才番組を流していた。
だが見ているのは店のおばちゃんぐらいなもので、客はてんでに連れと
しゃべっているか、手にしたくちゃくちゃのスポーツ新聞を読んでいるとかで、
そのおばちゃんのためにテレビはついているらしかった。


 しばらく待ってからうどんが来た。これほど混んでいるから少しは期待したが、
やはり全然おいしくなくて、途中近くの席にいた若いこわもての兄ちゃんが
「おいおばちゃん、コオロギ入ってんでー」とぶっきらぼうに言ったら、
もう喉を通らなくなってしまった。帰ろうと思って席を立った時、
会話が耳に入った。

おばちゃんが「ホンマにコオロギなんか入ってるんか?」と兄ちゃんのほうに
近づいて行った。するとそのこわもての兄ちゃんは、
「ほんまや、見てみー。ほら入ってるやろ
? 普通こんなん客に出すかー? 
まずいし言うことないなぁ」とボロカスにけなした。だがおばちゃんも強気で、
「なんやねん。コオロギぐらいどないしてん。も一杯作り直すからドンブリ貸しー。
ホンマえら損やわ」とぶちくさ言ってあんちゃんのドンブリを下げようとしたが、
あんちゃんは「もうええわ
.。こんなん食う気ないわ。いらんいらん。
勘定して」と言って帰っていった。
おれもちょうどいいタイミングだと思って席を立った。
 
*
 
 汗をかきすぎて体から異臭を放っているような気がする。
いや、しばらくまともな生活してないからか。女房が子供つれて出て行ってから
だいぶになる。長いことちゃんとした収入がないしすっからかんだから、
まともな生活なんてできやしない。部屋の中も、服も、何もかもが薄汚く汚れて
異臭を放ち、そしておれは疲れきっている。

ずいぶん長いこと女房はいろいろたすけてくれたけれども、
おれがさっぱり仕事を見つけられなくて、だんだん希望を失っていくと、
しまいに出て行ってしまった。「あんたのことは今でも好きやし、
頑張ってほしいと思って私もしんどい思いして助けてきたけどもうあかんわ。
もう何の希望も持てへんわ。あんたと一緒にいても、お先真っ暗。
せやけど私は子供を大きせんならんし、食べさしていかなあかん。
実家に戻るわ。実家の商売手伝いながら子供らを育てていくな。
あんたもちゃんと仕事見つけたら会いに来て」

 それから結局おれは一度も子供にも女房にも会いに行ってない。
むしょうに恋しくて悲しくなるけれど、毎日毎日足を棒のようにして
フラフラになるまで歩きに歩いて職探しをしても何一つ見つからない。
 おれは以前仕事をしていた時に、会社のそばを走っていた阪神高速の
高架下で生活していた男たちのことを思い出す。ずっと以前から
そこには初老の男たちが数人いたのだが、ある日突然加わってきた中年男がいた。
わりとまともな格好をして、銀縁のめがねをかけて、それがいきなり
そこで生活するようになった。そいつは見かけるたびに次第に変容していった。
だんだん髪とひげが伸び放題になって、顔と体も垢と脂で黒光りし、
服はだんだん薄汚くなっていった。そいつはきっとどこかの会社で
課長ぐらいやってたのだろう。だが何かの理由でそこで生活することになったのだろう。

ある日、路上生活者同士のド派手な喧嘩があったらしい。
高架下で暮らす面々や家財道具に変化があって、その男はめがねを失っていた。
それからは一層その路上生活者ぶりに磨きがかかって、
ますますそれらしくなっていった。そしてそこからいなくなっていたと
思っていた別の老人が、全然違う場所で歩いているのを見たりした。
 おれは彼らの生活にどんどん近づいている。
何が「ちゃんとしたまともな暮らし」なのか基準は人によって違うだろう。
でもおれにとっては「家族と一緒に平均的な日本人の暮らし」をしていたおれが、
突然会社を首になって、その挙句にどんどん坂を転がり落ちるように
ありとあらゆるものを奪われて、今のような惨めな暮らしになっていっているのは、
正直言ってとても不本意だ
.。だが仕事が見つからない限り、ここから抜け出すのは
至難の業だし、あれほどおびえている「彼らの」生活に達するのは
時間の問題だろう。


 今住んでいるのは、多分昭和の初め頃に建てられた文化アパートだ。
共同便所に共同の台所。風呂もなし。建物の恨みのこもったような陰気くさい
重みに押しつぶされそうになるほど、おれには辛い住まいだ。
だがおれにはどうすることもできない。こんな見苦しい身なりでは、多分誰だって
雇いたいと思わないだろう。だがおれはどうすればいいのかわからない。
家事のことも服のことも何にもかも女房に任せてほうったらかしに
していたのだから。


 ある日のことだった。おれはその日職安で「もう来ないで良いですよ」などと
すげなくあしらわれて、絶望感にふらふらしながら歩いていた。
きっと真っ青な顔をしていたに違いない。駅前の人通りの多い道を
歩いていると誰もがおれをよけていった。

「あれ?! もしかして仁木じゃないか?!」と聞き覚えのあるような声がして
おれは顔を上げた。そこにはりゅうとした身なりの、学生時代の友人が立っていた。
「お、大西・・・」おれはかすれた声を上げた。
「仁木、なんだか具合が悪そうじゃないか。時間があるか?
久しぶりに会ったんだ、ここで立ち話をするのもなんだし、どこかでコーヒーでも
飲もうじゃないか」


彼が先に立って、近くの喫茶店に入っていくと、おれは肩身の狭い思いをしながら
ついて入っていった。
「なんだか競馬でもやってスッテンテンみてえな顔してどうしたんだよ?大丈夫か?
「ああ・・・。大西こそ、なんだか羽振りがよさそうで。東京から出てきたんか?」
「そうなんだよ。関西の水のほうがおれには合ってる、ってところかな?」と
にやっと含み笑いをしておれのほうを見た。
 以前から何かひとくせふたくせあって、怪しい雰囲気があったが、
今はさらに腹に一物ありそうな雰囲気を漂わせている。あのころよりは
10キロ以上は太っているのだろうか? ふてぶてしさも加わってなにやら本当にくさい。
そんな感じだった。

彼はウェイトレスがオーダーをとって立ち去るのを見てから、話し始めた。
「おまえ、もしかしてずっと仕事探してるんじゃないのか?
お?やっぱそうだろう?元気がないのを見て、そういう気がしたんだ。
おまえみたいに優秀な奴でも切られる、なんてことあるのか。
信じられないような時代だよな。この長い不景気。出口の見えない先行き不安感。
だめな政府にだめな警察。
まったくごみみたいな国だよな.まったく日本ってところは。
おっと、ごみで思い出した」

そこで大西は言葉を切った。よほど自分自身のボキャブラリーと
言うものが欠如しているらしい。どこかの週刊誌からの受け売りとしか
思えないような使い古しの批評を一言(そこしか覚えていないのだろうか)発すると、
急に声を潜めて言った

「実はおれ、今人探しをしているんだ。社長は別にいるんだが、
おれが大阪方面の一応社長をしている。知り合いと一緒に始めたベンチャー企業でな。
今もう、儲かって儲かってしょうがないんだ
、ここだけの話。
もちろんほかにもおまえみたいな失業中のやつが聞いてるかもしれないから、
ちょっと小声でしか言えんのだが・・・。これからもっともっと伸びる、
新しい業種の会社なんだ。だが人員不足で、困ってるんだよな。
おいそれと誰でもよいと言うわけじゃなくて、やっぱこう、
信用の置ける奴を探している、と言うわけなんだ
。                               だから今日なんとなくウロウロしていておまえの姿を見た時、
インスピレーションがピピピっとくるというか、やった!!っと思ったね。
どうだ?一発いっしょにやってみないか?」
大西の話は十分怪しかった。言葉ではうまく説明できないが、
なにやらうさん臭いものをおれは感じた。大西は昔からテレビや雑誌の
受け売りみたいな陳腐な言葉ばかりを得意げに語って、それが女に受けるし
モテるだろう、などと思い込んでいるような奴だったが、今はさらに
浅薄さを増しているようだった。こいつが宗教の勧誘などやったら、
怪しくて誰も寄ってこないだろう。
 だがおれは今はわらにもすがりたいほど飢えていた。全てを失い、
どん底に落ちる寸前だった。もう何でもいいからおれをこの状況から
救い出してくれるものに、おれは飛びつかざるを得ないような心境だった。
もし大西に何かはめられているのかもしれなくても、それはどうでもいい、
とりあえず今は気にならなかった。

*
 
「それはどんな仕事なんや。おれでもできるんかな」
おれは搾り出すように彼に問い掛けた。
「そりゃ当然だよ。おまえにできなかったらおれが誘うわけないじゃないか。
やってみてくれるか?おれがいろいろバックアップする。おまえが困らないように、
社のほうに取り計らっておこう。これが名刺なんだ・・・。
早速明日の朝から出てきてくれるか?おっとこれが契約金だ。
ま、物入りだろうから使ってくれていい。明朝
9時出勤だ。
間違いないよう必ず出勤してくれ。
よかった、君なら引き受けてくれると思ったんだ。助かるよ。じゃ、また明日」
彼はおれに何か言う隙も与えずに封筒と名刺を渡すとそそくさと二人分のコーヒー代を
置いて帰っていってしまった。
 おれはそれからだいぶ長いこと呆然と座っていた。
これは天から降ってきた幸運なのか。それとも新たなる絶望の淵の出現なのか。
いかんとも判断しがたく、おれはただ茫然自失して、ウエイトレスから
しまいに店から出るように言われるまで、座っていたのだった。

名刺には「グリーン アンド クリーンカンパニー 社長 大西継男」と言う名前と
会社の所在地が刷られている、何の変哲もない白い名刺だった。
何をする会社かもわからない。封筒には
15万円が入っていて、
久しぶりに見る大金におれは目玉飛び出るほど驚いた。
だがとりあえず気をとりなおし、おれは銭湯に行き、それから服を新調しに行った。
 
*
 
おれは次の日、会社に出向いた。名刺に書いてあるとおりに行くと、
一番近い地下鉄の駅からもかなり歩かなくてはいけない、
人気のない荒涼とした雰囲気の倉庫街だった。
同じような灰色の倉庫が果てしなく並んでいて、おれは探しに探してやっと
「グリーン アンド クリーンカンパニー」の看板を掲げた倉庫を見つけた。
重い扉を力をこめて押し開けると、小さな事務所があって、奥まったところに
デスクが一つ、そこに管理職風の男が一人座っていて、何か真剣な顔をして
書類を読んでいた。ほかに女性の事務員が二人、忙しそうにパソコンのキーボードを
たたきつづけていた。扉の開いた音にも気づかないと見え、声をかけると
やっと一人が顔を上げた。

「なにか?」能面のように無表情な顔だった。おれはふと、こんなところで
仕事をするのかと思い、気分が沈んだ。

「あの、大西社長さんの紹介で、今日からこちらで仕事をさせていただくことになった、
仁木と申しますが・・・」
「ああ、仁木さんですね。大西のほうから聞いています。どうぞこちらへ。
早速仕事のほうにかかってもらいましょうか」
おれは驚いた。会社の説明や、給料の振込先など、書類を書かされたり、
いろいろ話があると思っていたのだが、そういう話はまったく出なかった。
何てことだ。アルバイトよりもひどい扱いではないか。
「ついてきてください」女性事務員は、おれが入ってきたのとは別のドアを開けて、
おれを通した。
「給料なんかはどうなっているんだ? 書類とかは書かなくてもいいのかな?
 おれは不安になって、歩きながら聞いた。
「歩合制ですし、仕事の出来具合に応じて現金で手渡しますので、
書類は結構です。
それから仁木さん、ここはあなたがお勤めになっていたような大企業ではないんです。
できたばかりの新しい会社です。
今は会社のほうで、社員にいろいろな保障をすることはまだできません。
ですが、個人個人が会社のことを考えて、自分の能力を最大限発揮してくだされば、
会社は大きく成長し、そこから始まるのです。
もう余計なことは言わないでください。いいですね?」
答えになっているようななっていないような、だがきっぱりとかわされた形で、
おれはもう無言で、その事務員についていくしかなかった。

 歩いているところは果てしなく続く入り組んだ廊下だった。
両端にずらっとドアが並び、どうやら個室になっているらしいのだが、
まったく陰気くさくて静かで、気がめいるような場所だった。
数百メートルほど歩いたところで、彼女はあるドアの前に立ち止まり、
ドアをノックして入室した。
「新しい社員を連れてきました。指導してください」彼女はそういうと、
さっさと出て行った。

そこには男が一人いて、大きな箱やごみ袋などの山の中に座り込んで
何かを一心不乱にやっているところだった。彼は顔を上げると言った。
「説明するから入って来い」
おれは大きな不安と恐怖にかられながら近づいていった。
 
*
 
 彼の説明はこうだった。これらの袋は一つずつ片付けていくこと。
ごみと紙の書類を選り分けて、ごみは箱の中にいれ、紙の書類は
ずたずたにちぎれているので、この小さな袋に丁寧にしまうこと。
全部選り分け終わったら、こんどは小さな袋だけを持って、
こっちのデスクに行き、ピンセットとのりを使って、引出しの中に入っている
トレーシングペーパーの上に丁寧に貼っていくこと。一枚の紙だけが
入っている場合はまれで、たいていは数枚から数十枚の紙が一度に入っているので、
ぜんぶきれいに選り分けて、間違いのないようにそれぞれ一枚の紙に仕立てること。
信じられないような話だった。そんなことできる訳がない。
数十枚もの紙をどう区別するのか。

「それも慣れてきたら速くできるようになる。いろんな部署があって、
おれたちのチームは家庭ごみ係なんだ。それがある程度できるようになって
昇格すると、企業や役所から出るごみを処理するチームに移れる。
その次は企業から出される、シュレッダーにかけられた普通紙を再生するチームだ」

男は少し間を置いた。
「おれはベテランでいつ昇格してもいいんだが、この家庭ごみチームの
泥臭さが好きなんだ。だからずっとこの仕事で、新米の指導に当たってる。
元教師でラグビー部監督のおれにはうってつけ、ってわけ」
なるほどね。おれが黙っていると、彼はまたしゃべりつづけた。
「その上のチームは、各チームから集められた書類の中身を分析する。
ここで
内容のない書類は廃棄されるが、それ以外の書類はさらに上のチームに回されて、
コンピュータにかけられて、それぞれの秘密事項が明らかになる。
最高機密から個人の生活の情報まで、知ることができる。
だがこの会社ではその中身まではチェックしない。誰がどういう暮らしをしようと、
どの会社でどのような機密が隠されていようと、内容にタッチすることはない。
ただ暴くだけだ。そしてそれらはそれを必要とする顧客に売られる。
それがこの会社の業務内容だ。危険な仕事だ。だから誰にもその仕事の内容は
絶対にしゃべってはいけない。わかったな?」

 ならなぜ新米社員にそんな大事な内容をしゃべるんだ
?
 黙って仕事を与えてやらせれば、どうせ地獄に落ちる一歩手前の人間なんだ、
なんだってやるのに。するとその男はおれの心を読んだかのように言った。
「みんなそう思うんだ。何でそんな大事な秘密を?ってな。
それはおまえの仕事がとても重要で、口を堅く閉めておかなかければならない、
ということを理解させるためだ。誰かに自分のしている仕事を軽々しく話せば
おまえは確実に殺される。覚えておけ。そしてもし誰かがうっかりしゃべれば
そいつが殺される。
そして会社もつぶされるんだ。会社がつぶれればおまえはまたその翌日から
完全な失業者だ、ということも覚えておけ。運命共同体ってわけよ。
だがな、もともと人選段階で、孤独な人間が選ばれてる。大してしがらみもない、
寂しい人間がな」

彼は一息置いた。
「麻薬みたいにとりこになる楽しい仕事だぜ? 
せいぜい楽しんでやるといい。あははは!」
 おれは背筋が寒くなった。冷たい手で頬をなでられたように悪寒を感じた。
だがやるしかなかった。後戻りしても前に進んでもどっちにしてもがけっぷちだ。
やるしかない。おれはごみ袋の真中に座り込んだ。男がにやりと笑った。
 
*
 
男に言われたとおりに仕事を進めていくと、意外に仕事は面白かった。面白かったと
言うのも変だが、見知らぬ他人の家から排出される『いらなくなったもの』を
通して見えてくる、他人の生活、それを覗き見しているという、
実にいやらしい仕事なのだが、それがなかなか面白かったのだ。
自分にもこういう性格の部分があったのか、と思ったりもするのだが、
ほんの断片だが、他人の生活のドラマを見ているような気がするのだった。
 また、ごみの中から小さくちぎって捨てられたり、くちゃくちゃに丸めて
生ごみに混ぜて捨てられているいろいろな紙類を丁寧に選り分け、
ジグソーパズルのようにつないでいって、一枚の書類を完成させた時の喜び。
しかもそこには重要な情報が詰まっているのだ。たった一行のバーコードから、
銀行口座番号から、会社のコンピュータはさまざまな情報を引き出すらしい。
すごいことだと思う。
 おれにはもともとこの仕事が向いていたのか、ごみの中からピンと来る重要な
紙類を見つけるのがうまかった。そして手早く選り分け、それを組み立てなおすのも
うまかったので、仕事はどんどんはかどり、歩合制と言うこともあって、
次第におれの懐具合は豊かになっていった。
そのうえ、数週間もすると、次のチームへと昇格できた。ここは企業や役所から出るごみなので、
前のチームのような覗き見する面白さはあまりなかったし、自分の家じゃないからか、
いいかげんな捨て方をされているごみが多くて、選り分けるのが大変だった。
そういうわけで辟易することが多かったが、慣れるとまたどんどんスピードアップしていった。

 
おれはそれからしばらくして「デシュレッダーチーム」に昇格した。
ここが企業や役所から出る、シュレッダーされた紙の廃棄物を再生して
書類に戻す仕事をしている部署で、今までとは格段に違う、高い技術を要請される。
同じような白い紙ばかりなので、時には顕微鏡を使い、
紙の繊維のつながり具合まで調べながらピンセットを使い、再生していくのだ。
何十枚分ものシュレッダーされた紙のゴミ袋を一袋仕上げるのに、
時には一週間近くかかるときもある。必死で全部再生したと思ったら、
全て同じ内容の紙で、単なるコピーの失敗とおぼしき何かの書類の
単なる表紙だったということもあった。それほど明確な時以外は、
特に書類の内容に目を通して内容を理解しようともしないので、
どれが重要でどれが重要でないのかは、見た目にはよくわからない。
それでとりあえずできあがった物はすべてコンピュータによる解析チームに
一通り送られるのだった。
 だからおれの仕事は朝から晩までひたすら白くて細長い、切り刻まれた紙を
相手に格闘する仕事だった。そこには家庭ゴミの時にあったような、
泥臭さ(悪臭も含めて)もドラマティックな発見もなければ、
何の人間味もないのだった。おれは単なる機械となって、思考停止状態で
ひたすらに仕事を続けるのだった。おれの指先はレーダーのようにつながりのある
紙同士を見つける。そして手早くきれいにトレーシングペーパーにそれらの紙を
貼り付けていくのだ。

おれの指先はまるで、おれの意志とは反した行動をとっているように思えることが
たびたびあった。時々自分の指先のうっかり注意を払って
「今なにをしているのか?」などと考えようものなら、
たちまち指先の目にも留まらぬほどの早さでの動きは停まってしまう。
そして指先は途方に暮れるのだ。

 おれは灰色の倉庫街の灰色のばかでかい倉庫の中の、デシュレッダーチームの
入っている小部屋の中の、さらに仕切られた人一人しか入れないほどの
小さな小部屋の中で、朝から晩まで切り刻まれた紙を再生し続けるのだ。
おれにはたいして意味もない、その一枚の紙。

 不思議なものだ。ほんの数ヶ月前ならおれは路上生活者寸前で、
絶望しきっていた。金もなく、家族もなく、汗と垢にまみれて途方に暮れていた。
だがいまはどうだろう。
あの時から何年の時が流れたのだろうというくらい、遠い昔のことに思える。
あの日、大西という学生時代の同級生に会ったあの日から

いったいどれほどの変化があっただろう? 実はほとんどなにも変わっていない、という気が
する。ただ今は金があり、朝から晩まで拘束されている、というだけだ。
以前会社に勤めていたときのような人間関係もなければ家族もいない。

  よく考えれば、おれは入社以来一度も大西に会っていない。
彼の存在さえもおれには夢のような出来事に思える。


 それでもおれはこの仕事を続けるのだ。PCの知識がないおれは
これ以上昇格することはないだろう。いつか誰かが何かをしゃべり、
殺され、この会社が抹殺される日まで、あるいは自分が死にたくなって
誰かにしゃべる日まで、おれは働き続けるのだ。

 違う仕事をしていたなら、ひょっとして家族に会いに行こうと思ったかも
しれないけれど、それもたぶんしないだろう。
 たぶん、おれは思う。もはや会うことには何の意味もないだろう、と。




 
終わり


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2002年2月18日少し改訂
 
 
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